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成人してからアスペルガー症候群と診断された娘。 全般的発達障碍+重度知的障碍の二男。 子ども達との生活は、山あり谷あり。 今日という日をしっかり生きて、明日に繋がるように 祈り続けたい・・・
2024/04月
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娘の入院から5日後・・・
主人は、肺腺ガン摘出手術を受けました。

「 朝8時に病室まで来てください。それから、皆で手術室に行きます。
手術は、6時間かかります。家族の方は、手術が終わるまで 家族控え室で待機して下さい。」


主治医の言葉通り、手術日の朝、長男と二男、私で 主人の病室に行きました。
すると、間も無く、主治医が顔を出し、「 行きましょう!」と誘われて…
ぞろぞろと、皆で エレベーターに乗り込みました。

手術室のある階で降り、手術室と家族控え室と二手に分かれると、
「じゃあ…。」と言って、主治医は、主人を連れて 手術室へと向かって行きました。

ストレッチャーに乗せられた主人を、手術室の扉の前で見送るのだと、
想像していた私たちは、手術着に着替えた主人が、
主治医と手術室に歩いて行く姿を見送って…
なんだか、想像していた場面と、あまりにも違う状況に、戸惑いを感じながらも、
それほど、簡単な手術なんだ…と、ホッとしたのでした。


家族控え室に入ると、小さなテーブルと椅子が いくつも用意されていて、
そこには、私たちと同じように待機する家族が、何組もおりました。

6時間もの時間を、狭い控え室で過ごすのは、二男がキツそうだと考えた私は、
長男に頼んで、二男と家で待機するように告げ、
私ひとりが、家族控え室に残る事にしました。


私は、病院の売店で雑誌とお茶を買い、控え室で過ごしていました。
ふと、娘は、今頃どうしているだろう…と、考えました。

きっと、心配で眠れない一夜を過ごし、
きっと、今、必死で祈っているだろう…娘の姿を想像しました。
この場にいなくて、良かった。
この空間と時間に、娘は耐えきれないだろう…と、
改めて、入院させて良かったと思ったのでした。


それから、何時間が過ぎたでしょうか…。
私は、Twitterの友人たちに呟いていました。

私の呟きに、すぐさま、返信をして下さり、友人たちは、優しい温かい言葉を
たくさん、私に かけて下さいました。
大丈夫、大丈夫! と、力強い言葉を たくさん下さったのでした。

ネット上で知り合い、名前もお顔も知らない友人たちが、心をひとつにして、
私のために、主人のために、祈って下さいました。

その祈りが、本当に嬉しく、どんなに私の支えになった事か…
不安が消えて、どんなに心強く、力をいただいた事か…

親戚よりも身内よりも、そばにいて寄り添って下さる友人たちに、
感謝の気持ちでいっぱいでした。



3時間が経過した頃、控え室の扉が開いて、
「手術が終わりましたよ。」と、ある家族が 呼ばれました。

次々に、手術が終了し、その度に 看護師が控え室の扉を開けて、
待機中の家族に声をかけるのを、私は、ぼんやりと眺めておりました。
だんだんと、待機中の家族の数が減っていき、控え室は、静まりかえっていました。


その時・・・

「 終わりましたよ!」と、看護師では無く、主治医自らが 控え室の扉を開けて、
私は、呼ばれたのでした。

6時間も経っておらず、予定より早い終了で、長男も二男も家に居て 間に合わず、
また、直接、執刀した主治医が呼びに来た事に、私は、驚きながらも、
主治医の後を着いていきました。

小さな部屋に案内されて、椅子にかけると、主治医は、
「 全部、取れました。取ったものを見ますか?」と、仰いました。

一瞬、驚きましたが、私は 「はい!」と、返事をしました。
すると、「ちょっと待ってて!」と主治医は、部屋を出て行きました。
私は、深呼吸を一つして、主治医を待っていました。


主治医は、部屋に戻ると、ステンレスの膿盆に乗せた物を、
「これです。」と、自分の手のひらに乗せて、私に見せて下さいました。

赤黒い色をした それは、三角の形をしており、綺麗な物でした。
「 肺には、これと同じ肺葉が5個あって、そのうちの1個を取りました。
ガンは、これです。」
主治医の指差した場所には、4〜5cmの塊がありました。
私は、へぇ〜と思うだけで、思ったより綺麗な肺葉を眺めていました。

ガンは、全摘出来、転移もないとの主治医の言葉に、私は 安心したのでした。
こうして、主人の手術は成功し、心配していた合併症も起きずに、無事に終了したのでした。

東京でお世話になった教会の教会員の方々や、
Twitterの友人たちの祈りと願いが届き、
私は、たくさんの優しい人たちに支えられている自分を、改めて認識し、
神様に感謝したのでした。





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「 お母さんが、上手く誘導してくれたから 戻ってこれたんだよ。」

娘は、昨夜の事を話してくれました。


「 えっ? 覚えているの?」


「 うん。ところどころ、覚えている…。
    自分が誰だか分からなくなって…
    自分の名前も家族も、分からなかったから、
    それで、ノートに書いて!って、言ったんだよ。」


「 へぇ〜。そうだったんだぁ。」



言われてみれば、別人格のはずなのに、
娘自身の私物が入っているボックスを開けていたり、

自分の名前を嫌いだと言って、顔をしかめたりするので、
不思議だなぁと、思ったりしていたのでした。



別人格だと思って、ひたすら 私が 対峙していたのは
娘自身だったのかも知れない…と、思えてきたのでした。

多重人格になったら、どう対応したらいいのか、
いろいろと想像しては 不安に思っていたので、

ぼんやりと昨夜の事を覚えていると話す娘の言葉に、
私は、少し、ホッとしたのでした。



すぐに、病院に行き、外来受診をしました。


主治医に、別人格の話をすると…

「 記憶があるので、真性の解離性人格障害ではないでしょう…。
    自分を認識出来ない状態になって、混乱したのではないか…
    解離ではあるけれども、多重人格とは違うでしょう…。」

との事でした。


私は、医師の言葉を聞いて、安心したのでした。




ところが・・・


次の日も、その次の日も、娘は 再び、解離症状が出て…
同じようになったのでした。


「 あなたは、だあれ?  ここは、何処?」


同じ質問を繰り返し、家から出て行こうとする娘に、
私は、ひとりで 対応する事に 限界を感じていたのでした。



たまたま、4連休中の出来事でした。


対応に困り果てた私は、何度も、主治医の大学病院の救急外来に
娘を連れて行き、受診しました。

「 お父さんのガン手術に対しての不安から来ている症状なので、
    手術が終わるまでは、繰り返し、続くでしょう…」

との診断でした。


このままでは、私ひとりでは対応も難しく、二男の世話もあるし、
主人の手術も迫っているので、できる事なら、娘を入院させたいと、

伝えましたが、休日の入院は出来ないとの事で、
連休明けまで待つように指示されました。


何度も解離を繰り返す娘に、なんとか対応をして…
連休明けに 主治医の外来を受診しました。



しかし、娘は 退院したばかりなので、同じ大学病院では再入院出来ない…
その代わり、別の病院を紹介します…と言われ…

すぐに、別の病院に入院出来るように手続きをして下さったのでした。


そして・・・

娘は、精神科の専門病院に入院したのでした。


主人の手術日まで、あと5日…

私は、ようやく、ホッとして、眠りにつく事が出来たのでした。






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「 家に帰りたいの。おばあちゃんの所に帰らなきゃ。」

娘は しきりに、家に帰る…と言っては、玄関を出て行こうとし始めました。


そんな娘を 必死で止めようとする私に、娘は・・・

「 どうして止めるの? おばさん、だれ?」

「 えっ・・・?」

私は、言葉を失いました。


目の前にいる娘は、さっきまでの娘とは 違っていたのです。
声のトーンも、言葉づかいも、確かに 娘とは違っていました。


「 お母さんだよ!」

「 お母さんって、だれ?」

私は、自分の名前を告げました。すると・・・

「 知らないわ!」  

 娘の口から出た言葉を聞いて、私は、ようやく、何が起きているのかを
知ったのでした。


解離性同一性障害・・・


娘が解離だと 医師に言われてから ずっと、私は、この言葉が
いつも気になっておりました。

まさか・・・

目の前の娘に、一体 何が起きているのか・・・
私は、恐る恐る、娘に聞いてみました。


「 あなたは、だあれ? お名前は? 」

「 知らないわ!」

私は、娘の本名を告げました。 すると・・・


「 だれ? それ、変な名前! そんな名前嫌いよ!」

娘は、顔をしかめて、吐き捨てるように言ったのでした。


「 お母さんは? お父さんは? 」

「 いないわ! 死んじゃったの。」


「 どこから来たの?」

「 ずーっと遠くの外国から 船に乗って来たの。」


「 どうして、ここに来たの?」

「 お花が たくさん咲いていて、綺麗な絵があったから、
ホテルだと思って、入ったの。」


「 家族は?」

「 みんな、死んじゃった。おばあちゃんと住んでるの。
早く帰らないと、おばあちゃん 病気だから、足が悪くて
歩けないから、帰ってあげないと 死んじゃうわ。」


娘は、すぐに玄関から出て行こうとするので、私は、
力づくで 引き止めるのが 精一杯でした。


二男は、施設から帰ったばかりでしたが、いつもの娘と異なる様子に、
何も言わずに、私と娘のやり取りを 遠巻きに見ていました。


「 この子は、だあれ?」

二男を指差して、娘が尋ねるので、二男の名前を告げると・・・

「 可愛いわね!」

娘は、二男のことを、しきりに可愛いと言って、頭を撫でるのでした。


いつもなら、そろそろ 夕食の支度を始める時間でした。
日も暮れて、外も暗くなり、娘が外に飛び出して行けば、
私一人では、とても対応出来る状態では ありませんでした。


困り果てた私は、解離に詳しい友人にメールをしました。
娘の状況を書いて、どうしたら良いかと尋ねたのでした。


友人から すぐに返信メールがありました。

「 事故防止のためにも、交代人格には 家に居て欲しいが、
無理なら、一緒に出かける事。

人格が戻るまでは、交代人格と対峙するしかない事。
この時、交代人格を否定してはいけない。」


全く知識のなかった私には、友人のアドバイスが、ただ一つの
救いでした。

友人は、その後も、情報を送り続け、自分の事のように心配して
下さったのでした。




思いも寄らなかった出来事に、ただただ驚き、でも、なんとかして、
とにかく、一晩を乗り切らなければ…と言う思いで
私は、必死になっていました。

無我夢中で、目の前の娘ではない別人格と話を続け、
今夜は遅いから、取り敢えず、ここで泊まって欲しいと
話をしたのでした。


私との力づくの引っ張り合いで、疲れたのでしょう。
娘は、素直に私の言葉にうなづいて、「今夜はこちらで泊めてください。」と、
布団に入ったのでした。

食事の用意も出来ずに、娘にかかりっきりで、二男は放ったらかし。
お腹の空いた二男は、自分で パンを焼いたりして、黙って食べておりました。

重度知的障害のある二男ですが、こんな時は、何も言わなくても、
事態を察知して、私の手間を取らせずに 自分でやってくれるのです。

私は、二男にも、ごめんねと謝り、感謝したのでした。


夕食後の薬と、就寝前の薬。
娘は、毎日 服用していましたが、この薬を飲ませるのに また一苦労でした。

「 これを飲んでね。」と、差し出すと、
「 毒が入っているんじゃないの?」と、疑うので、大変でした。

必死で説得して、どうにか飲んでもらい、やれやれでした。


娘が寝てから、 私は、すぐに 主治医の大学病院に電話をかけました。
当直医が電話に出たので、状況を説明し、娘が家を飛び出そうとするので
一人では、対応出来ないと、話をしました。

医師が、私に告げたのは…

退院したばかりなので、再入院は出来ない。
どうしても、入院させたいのなら、緊急救急システムを使う方法がある。
連絡して、相談すれば 病院を紹介してもらえるかもしれない。

でした。 当直医は、親身になって、私の話を聞いて下さいました。
私は、すがるような気持ちで、緊急救急システムに電話をかけてみたのでした。


そして、とても一人では対応できない事を告げたのでしたが…

おとなしく眠っている今現在の状況では、緊急システムは使えない。
システムが使えるのは、もっと深刻な場合で、
例えば、自傷や他傷の恐れがある場合などに限る。
仮に、使えたとしても、遠隔地の病院の紹介になる。

との理由で、病院の紹介はして貰えませんでした。


私は、どうにかして、明日の朝まで、娘ではない別人格と、
対峙しようと、覚悟を決めたのでした。

幸い、娘は、夜中に1、2度起きて、トイレに行ったり、
お茶を飲んだりしたものの、玄関を飛び出していく事はありませんでした。


長い長い時間が過ぎて行きました。

眠れない一夜を過ごし、私は、娘が 目覚めた時には、元に戻っているようにと、
心の底から、祈りました。


ですが・・・


朝になって、目覚めた娘は、別人格のままでした。
そして、家に帰りたいと、また言いだしたのでした。

昨夜は、「朝になって、家の迎えが来るまで、ここで待ちましょう。」と、
言い聞かせていたのでしたが、「迎えが来ない!」と言って、混乱し始めました。


一体、いつまで、この状態が続くのだろう・・・
永遠に続くのでは ないだろうか・・・

私は、そんな気さえ してきました。

たとえ、ずっとこのままでも、相手をするしかないのだ・・・
いつまでも、元に戻るのを待ち続けよう・・・

私は、そう 自分に言い聞かせて、覚悟をしたのでした。



別人格の娘は、朝ごはんも食べ、毒ではないかと疑いながらも 薬を飲み、
だんだんと、私を頼ってくれているように 感じていました。

娘ではないけれど、暴言は吐かないし、言葉使いも丁寧で、
どうやら、穏やかな性格のようだ・・・

私は、次第に、別人格の娘の事が、愛おしく思えてきたのでした。



そんな時、突然に、「おばさんの事、おかあさんと呼んでいい?」と、聞かれ、
私は、嬉しさのあまり、「 呼んで!呼んで!」と、笑顔で答えていました。

それまでは、私の事を ずっと、「 おばさん!」と、呼んでいたのに、
おばさんから、「おかあさん」に変化したのでした。


「 おかあさん優しいから、ずっとこのまま、ここにいてもいい?」

「 うん!いいよ。ここにいて!」

「 じゃあ、家に帰らなくてもいいわ。ここにいる!」


「 私、名前がないから、おかあさん 名前付けて!」

私は、娘の名前を告げてみました。

「 そんな名前、嫌いよ! 大っ嫌い!」


自分の名前に 異常に反応する娘が 不思議でしたが、
私は、名前を何にしようか迷ったので、入院中の主人に電話をかけました。


「 名前を付けてと言ってるけど、何がいい?」

主人には、ずっと電話で状況を伝えていたので、
すぐに主人は 答えてくれました。


「 マリア・・・」

「 えぇっ? マリア? 恥ずかしいんじゃない?」

「 じゃあ、サラ!」


マリアもサラも、聖書に書かれている女性の名前ですが、
普段は、聖書もキリスト教にも興味を示さなかった主人が、
この名前を出した事に、私は、とても驚きました。


「 ああ、きっと、サラがいいって、言うよね!」

「 うん!」


私は、電話を切り、娘に 「マリア」と「サラ」の名前を言いました。

すると、娘は、「 サラがいい!」と、即答しました。


そして、「 サラちゃんにする! 今日から 私は、サラちゃんになる!」

と言って、ものすごく喜んだのでした。


すぐに、自分の手の甲に 「サラ」と書いて・・・

「 サラちゃん と呼んで!」

と、繰り返し、言ったのでした。


それから、私に、家族の名前を ひとりひとり書いて欲しいと言って、
ノートを差し出したのでした。


私は、言われるままに ノートに家族の名前を書き、
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、サラちゃん、弟・・・
と、説明を始めると・・・

突然に、話していた別人格の声が変わり・・・
別人格は消えて、元の娘が、戻ってきたのでした。



23時間が経過していました。

長い長い、時間でした。

娘は、やっと、元の娘に戻ったのでした。






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「 手術日が 2週間後になった・・・」

「 えっ??」


主人は、糖尿病を患っており、もう何年も薬を飲んでおりました。

入院して、血糖値の測定が始まったのですが、その数値が高いから、

このまま手術をすると、合併症を起こす可能性があるため、

2週間かけて、血糖値を下げてから 手術をするとの医師の判断でした。



突然の延期に、驚きましたが、娘の状態も良くなかったので、

私は、少し ホッとしたのでした。



娘は、相変わらず 夜も眠れず、不安定になっていて、

意識を失うのが怖い と言って、頓服を飲んでばかりでしたが、

家事をしようと 私が離れると、行かないで! と、言うので、

何もできずに、付きっきりの状態が続いておりました。



それでも、なんとか 二男を送迎バスに乗せて、

二男だけは、いつも通りの生活をしていたのでしたが・・・



その日・・・


二男の帰宅時間になり、私は いつものように 

家の玄関前に到着した送迎バスから 降りてくる二男を

迎えに行こうとすると・・・



娘が、行かないで! と言って、引き止めるので・・・

でも、バスが来てるから 行ってくるね! と私は、

すがる娘を振り払って、玄関に向かったのでした。


「 行かないで〜〜! ああ〜〜っ!! 」


叫ぶ娘の声を背に、私は 二男を迎えに 玄関を出て、

送迎バスを見送ったのでした。



すると・・・


部屋にいたはずの娘が、裸足のまま、

私の横に立っていたのです。


私は驚いて、どうしたの? と、声をかけました。



「 家に帰りたいの・・・」


娘は、そう答えて、裸足のまま、門を出ようとするのです。


「 ここが 家でしょ? 何言ってるの? 」


家に帰ると言う娘を、私は、無理やりに家の中に押し込みました。



「 あなたは だあれ? 」  


娘の言葉に、私は、動揺しましたが、以前にも、

娘の意識が ぼんやりしている時に この言葉を聞いた覚えがあったので、

一瞬の出来事だろうと、軽く考えておりました。



ところが・・・


「 あなたは、だあれ? 」


と、繰り返し 私に尋ねる娘の様子に、私は はじめて、

とんでもない事が起きているのかもしれない・・と、気づいたのでした。







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娘が入院して1ヶ月が過ぎ・・・

2泊3日の一時帰宅になりました。


この帰宅が 問題なく上手くいけば、退院まで あと少し。
娘と主治医の間で、約束事が決められました。

「 一時帰宅中は、規則正しい生活をして、家事を出来るだけする事。」


家では、家事は ほとんどせずに、自分の事だけに専念していた娘でしたが、
主治医との約束を守らないと退院させて貰えない…と、思ったのでしょう。

帰宅してからは、別人のように 一日中何かしらの家事をしていました。
食事以外は、ゆっくりする事もなく、忙しく動き回り、
私の仕事まで奪うようにして、頑張るのでした。


「 疲れちゃうから、ゆっくり座って お茶でも飲もうよ。」と、声をかけても、

「 先生に言われた事を 守らなきゃいけないから!」と、答えて…。


掃除や洗濯、食後の片付け、洗い物…
せわしなく、動き回るのでした。

ですが、何をするにも、今までした事がないのですから、
いちいち、やり方を私に尋ね、
主治医に見せるのだと、ノートに記入するので、
私まで ゆっくりできずに気も休まらず、慌ただしく過ごす生活でした。


昼間は疲れてしまい、せめて 夜は早く寝たいと思っていても、
娘は、家事をしていたから 話が出来なかったと言って、

夜になってから話を始め、何度も同じ話を繰り返し…延々と続き…
2日間とも、深夜3時半過ぎまでになってしまいました。

ずっと動き続け、しゃべり続けて…
落ち着かず、ただ気ぜわしいだけの一時帰宅でしたが、
なんとか無事に、3日目の夕方 再び 病院へと娘を送って行きました。



娘の一時帰宅の2日前の事…

主人は、娘と同じ大学病院で、1日検査入院をしておりました。
肺に見つかった腫瘍のような物の詳しい検査をするためでした。

娘が 一時帰宅を終えて、病院に戻った日の翌日、
主人の検査入院の結果が出ました。

家族が同席するようにと言われ、覚悟はしていましたが、
長男も同席して、主治医の話を聞きました。


診断は、肺腺がんとの事でした。
左肺の心臓の裏にある癌で、大きさは 5cmくらい。

手術して 切除した方が良いとの事でしたが、心膜と横隔膜にも癒着しており、
最悪の場合、心臓にまで及んでいる事もあり、その場合は、切除しないまま
縫合するとの事でした。


主人の手術日が決定した時点で、すぐに、娘の主治医にも連絡し、
娘の退院を 主人の手術後にして欲しいと、お願いをしたのですが…

大学病院では、1ヶ月以上の入院は不可能で、娘の場合は、すでに
1ヶ月を経過しているので、退院を延ばす事は出来ないとの事でした。


そして、娘の退院日は、主人の入院する日と同じ日になりました。
私は、午前中に 主人の入院手続きを済ませ、午後に 娘の退院手続きをしたのでした。



娘が退院して、その足で 主人の入院病棟に立ち寄りました。

娘には、主人の詳しい病名や病状は 内緒にしておりました。
ところが、主人の病室にいる間に、主治医に呼ばれ、
娘も同席して、主人の主治医の話を聞く事になってしまったのでした。


そんな事とは知らない主治医は、娘の前で、病名を告げ、ステージを告げ…
手術の際に起こるリスクや、合併症の例など、次々と話し始めたのでした。

案の定、娘は ショックを受けて、泣き出してしまい…
内緒にしていた事実を、全て知ってしまったのでした。



入院した主人と別れて、帰宅したのでしたが…
やはり、娘には、耐えきれなかったのでしょう。

その夜から、3日間連続で、夜になると パニックを起こし、
発作や、ひきつけ、呼吸が止まるなどを繰り返すようになってしまいました。



主人の手術日まで、あと3日…
私は、主人の事も心配でしたが、目の前の娘の対応に精一杯でした。


そんな時、主人から電話があり…
手術日の変更を告げられたのでした。







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拙いブログにご訪問下さいまして、ありがとうございます。
お陰様で、ブログを始めましてから、1年が経ちました。

このブログは、メインブログ、「空を見上げて…☆ 」のサブブログとして、
主に、娘の事を中心に綴って参りました。

大人になってから、アスペルガー症候群と診断されて、
その特性ゆえに、同じ事を繰り返す娘の言動や、

伝えても、伝えても、伝わらなくて、やりきれない私自身の気持ちを
不定期に更新して参りましたが、たくさんの方々にお越しいただいて、
コメントまで頂戴し、本当に嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。

皆様に支えていただいて、ここまで続ける事が出来ました。
本当に、ありがとうございました。
たくさんの素敵な出逢いに 感謝しています。

これからも、不定期ですが、綴って参りますので、
どうぞよろしく お願い申し上げます。




さて・・・

入院した娘のその後ですが…

現在、四人部屋での入院生活。
朝6時起床、ラジオ体操に始まり、7時朝食…
病院の規則正しい時間の流れに
着いて行くのがやっとと、いう感じです。

夜が怖くて眠れない…と言っては、一晩中起きて過ごし、
朝になって、ようやく安心して眠るという生活から 一変しています。

まずは、規則正しい生活をする事から始めましょう…という方針です。

慣れない生活の為か、医師や入院患者さんとのやり取りで、
混乱したのでしょう。

パニックになり、早朝6時に 号泣して 電話をかけてきたかと思えば、
激怒して 電話口で 文句をまくし立て、一方的に電話を切ったり…。

私たちも、ある程度は覚悟しておりましたが、
あまりに酷い娘の暴言に、辛い気持ちを抑えておりました。

そのうちに、娘は、病棟内で 意識を失くして倒れるようになりました。
倒れる度に、担架で運ばれ、脳のCT検査や血液検査を受けて…

さいわい、異常は見つかりませんでしたが、
意識を失くして倒れるのは、解離 でしょう…との事でした。


先日、医師との面談があり、主人と二人で話をお聞きしました。

娘は、10年前より 薬を服用しておりますが、
薬の種類が多く、体重増加もあるため、
なるべくなら、入院中に 薬を減らして行けるようにと、考えておりました。

診断は、精神疾患なのか、発達障害なのか、その区別がつかず、
精神疾患です と診断する医師と、発達障害です と診断する医師、
その両方です と、診断する医師もあり、医師によって 様々でした。

今回の担当医師は、娘が訴えている幻聴なども、
精神疾患のそれとは異なるとの理由で、
「 発達障害から起こる不安の症状 」
との診断でした。

そのため、精神疾患の薬は、飲むのを止めてみましょう。
薬を止めると、不安が強くなるかもしれませんが、

自分の力で 乗り越えていけるように、練習して行きましょう。
との事でした。


物事が 思うように上手く行かなくなると、
不安になり、被害妄想が大きくなり、パニックになっていき、

攻撃的になったり、暴言を吐いたり、
なかなか、感情のコントロールができないため、

そんな時には、頓服として、精神疾患の薬を服用していたのですが、
いざという時の頓服がないというのは、やはり、
娘も私たちも不安です。


入院中は、医師もいて下さるので安心ですが、
退院後は、私たちだけで、乗り切れるのか…

心配な問題は、たくさんありますが、
今現在は、医師の指示通りに 娘も頑張っている状況です。


上手く 薬が減らせて、娘が落ち着いて過ごせますように・・・
不安になっても、乗り切ることができますように・・・

祈っていきたいと思います。




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前回の更新から、3ヶ月以上経ってしまいました。
その間、何度もお立ち寄り下さいまして、本当にありがとうございました。

苦しい胸の内を綴りたいと思いつつも、
日々起こってくる 様々な出来事に追われて更新出来ず、申し訳ありません。

これからも、不定期な更新になりますが、続けて綴って参りますので、
今後とも どうぞよろしくお願い申し上げます。



さて、10日前から、娘は 入院を致しました。
その日、月に1度の受診日でしたが、

「 いろいろな音が気になって、我慢できない。
頭痛や幻聴もひどくて眠れないし、食べられない。」

と、娘は、医師の前で 号泣し、

「 家に帰りたくない!」

と、訴えた結果でした。


割合と元気に過ごし、曲に合わせて、その場足踏みで
毎日、1万歩をクリアして、絵も描き…

安定していると思っていましたので、
今回の入院は、「 えっ? 」と意外でした。


東京在住時も、暴言や暴力、自傷を繰り返しては、家を飛び出したり…
とても、家族と平和な時間を過ごせないから、入院させたいと、
何度も 医師に相談した事がありました。

しかし、当時は、病院側の都合もあったのでしょう。
なかなか、医師からの許可が下りませんでした。
娘も私たち家族も、苦しい日々を乗り越えてきたのです。


転居して、病院が変わり、医師も変わり、環境が変わったものの…
これまで、数え切れないほどの試練を通ってきた私たちとしては、
今回の入院は、少しばかり 複雑な心境でした。

なぜ、今なの?
そうは思いましたが、娘が 家に帰りたくない! と、主張している以上
無理やりに連れて帰る訳にもいかず、医師に勧められるまま、
入院の手続きをする事に致しました。


前回の受診時にも、アスペルガーと言う特性上、
人とのコミュニケーションが苦手な娘の為に、

他人との会話や、やり取りを練習するための入院も出来るよと、
医師から聞いておりました。

ちょうど良い機会だから、1ヶ月入院して
薬も見直して 減らしましょう…

との医師の勧めに、私たちは、同意致しました。


10日間が過ぎて、娘は、多少の混乱はあるものの、
なんとか やり過ごしながら、生活をしています。

今回の入院が、娘にとっての前進になりますように・・

今は、そう願っています。


入院していても、ほぼ毎日 見舞いに訪れますし、
電話も、何度もかかってくるので、

なかなか、こちらも ゆっくりとできないのですが、
夜だけは、静かに眠れる生活になったのが、幸いです。


神様から頂いた夏休み…
そう思って、私たちも 娘が帰宅した時に、
しっかりと寄り添えるようにと、充電しています。

普段は、なかなか ゆっくり相手をすることが出来ない二男と、
しっかり かかわって過ごそうと思います。


今日も、無事に 穏やかな一日でありますように・・・

心から感謝して、過ごしたいと思います。





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この春、娘は 体調がすぐれず、
毎年、春は( 木の芽時 )調子が良くないのですが…
突然に フラフラになり、倒れ込んで 意識を失くす事が
多くなりました。


3月初めの頃は、それが頻繁に起こり、外出もままならない状況でした。
道を歩いていても、座って話をしていても、いきなり、目がうつろになって
フラ〜となり意識を失くすのです。


病院での診察中にも、医師の前で倒れ込んでしまい、
呼びかけても 身体を起こしても反応は無く、脱力したままなので
医師は、娘を抱えて、車椅子に乗せ 隣室のベッドに運んで下さいました。

その1週間前から、倒れたあとに 頭を激しく左右に振り、
下肢をバタバタさせる動作が、10分間隔で、3〜4分起こり、
その後1、2時間程、同じ動作を繰り返す事が、毎晩 続いていましたが…


ちょうど、医師の目の前で、同様の動作が起きて 娘の症状を見て頂く事が 出来、
その場で、脳波とCTの検査の予約をして頂きました。

結果は、どちらも異常は無く、安心したのでしたが、
それからしばらくの間も、同じ動作を繰り返していたので
主人も私も、眠れない毎日でした。

就寝中に、突然に 手足をバタバタさせるのは、異様に感じ、
ワザとしているようにも思えたのですが、
娘の あまり覚えていない様子に、
何が原因なのだろうと、不安に思っておりました。



3月末に、主治医が異動になり、
4月になって、引き継ぎの医師による診察が ありました。

突然の脱力や、意識を失う事などは、
ナルコレプシーではないかと、尋ねたところ、

それとは異なる…との事で、
過度のストレスが起きた時に、
自分の心を守るために起こる身体の反応ではないか…
との事でした。

そう言われてみると、なるほどと、納得できる部分もあり、
医師の診断通りなのだろうと、思えたのでした。



薬を飲み続けて 10年余り…

体重が 大幅に増加したのを気にして、
毎日、1万歩を歩き、食事も減量して 頑張っているのに、
なかなか痩せない…と、娘が 医師に伝えたところ、
薬を変えてみましょう…と、処方して下さいました。

東京で、通院していた病院の医師にも、異動になった医師にも
同じ事を言い続けてきたのでしたが、いつも、答えは同じ…

「 薬は、変えない方が良い。」  でした。


今回、薬を変えた事による体調の不良は、まだ 現れていませんが、
このまま、不調なく 順調に行ってくれるといいなと、願っています。


「 薬を見ただけでも、今まで どういう状態だったのかが よく分かるよ。
随分と、今は 良くなってきたから、薬を変える事が出来るようになったんだよ。」


そう言って下さった医師の言葉は、きっと、
娘の心に響いた事でしょう。

どうか、このまま、穏やかに過ごせますように・・・




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子ども三人の母です。
成人してからアスペルガー症候群と診断された娘と、全般的発達障碍+重度知的障碍の二男との暮らしは、山あり谷ありですが、楽しく暮らしています。

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