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成人してからアスペルガー症候群と診断された娘。 全般的発達障碍+重度知的障碍の二男。 子ども達との生活は、山あり谷あり。 今日という日をしっかり生きて、明日に繋がるように 祈り続けたい・・・
2024/04月
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急速に回復し、退院して家で過ごしていた娘でしたが、
生活が順調とまではいかず、不安を抱えておりました。

日中は、好きな絵を書いたり、ネットで買い物をしたり、
軽い運動をしたりして割合に穏やかにしているのですが、

夜になると、だんだんと不安になって、
なかなか眠れない日が続いているのでした。


同じ頃、主人は風邪をひいて、咳き込んでいたのでしたが、
マスクをしない事や、咳き込んでいるのに病院に行こうとしない事に
腹を立て、娘は、主人と衝突をする事が多くなりました。

毎年、この時期は咳き込む風邪を引き、家族にいくら言われても、
マスクを着けず、挙げ句の果ては 家族に感染るという繰り返しを
している主人でしたが、さすがに、今回は、娘が怒るので 仕方なく
マスクをしてくれていたのでしたが・・・。


本来の娘であれば、多少のことは赦せる心を持っています。
今までは、マスクをしない主人のことも赦せていました。

けれども、今は、家族のことも、些細なことも、
赦すことが難しくなっているようなのです。

とても小さなことにまで、心を痛めて、どんどん不安になって
様々な症状が出てしまうのです。



明け方、娘と主人の言い合う声で 私は目を覚ましました。
玄関から出ようとする娘の手を、主人が引っ張って止めようとしていました。

パーキンソン病で手足に力の入らない主人では、娘を止める事は出来ません。
私は、力づくで娘を部屋まで押し戻し、娘の話を聞きました。

深夜3時過ぎまで、眠れないからと 私の隣の布団で
iPad を見ていた娘は、主人の咳が止まらないのを心配して、
病院に行くようにと話したようでしたが、
一向に娘の話を聞こうとしない主人に、腹を立てたようでした。


「 こんなに心配して、病院に行ってと言ってるのに、
聞いてくれないから、もう一緒に暮らせない!出て行く!」

私が 引き止めると、娘は、そのままキッチンに行き、
「死んでやる!」と言って、置いてあったケーキサーバーで、
自分の脇腹を刺そうとし始めました。


私は、必死で引き止め、ケーキサーバーを取り上げ、
なんとか、布団に押し込んだのでしたが、
娘は、「あー!あー!」と、大声で叫び続け、
何度も出て行こうと試みました。
それを、力づくで引き止めて…。


「 パパには、今日 病院に行って貰うから!」と、娘に伝えて、
納得させて…やっと、娘は、朝になって眠りについたのでした。


主人は、ようやく病院に行き、咳止め薬を貰ったのでしたが、
それでも、咳は止まらず、その後もずっと咳き込んでいるのでした。



その後の外来診察の際に、娘の話を聞いた主治医からは、

「 家を出たらいけない。出たら、また入院になるよ!
当てもなく出るのは、いけないよ。」

と、優しく言われたのでしたが・・・。


その帰り道、ずっと、「主治医に怒られた。自分はダメなんだ。」と、
娘は、落ち込んで悩んでいる様子でした。

そして、途中で立ち寄った薬局で、「疲れた。」と言って座り込むと、
そのまま後ろに倒れてしまいました。

目はうつろ、意識朦朧としていて、いくら呼びかけても反応せず、
薬局のフロアーで、15分くらい 倒れていました。

そのうちに、呼びかけに目を覚ましたのでしたが、ふらふらで
やっとの事で、帰宅したのでした。


その夜、眠れないからと増やして貰った眠剤を飲みましたが、
深夜になっても眠れずに、そのうちに全身をバタバタ揺らして興奮し、
「あー!あー!」と叫び続け、解離症状も出たのでした。



1週間毎に 外来診察でしたが、やはり、主治医の言葉を気にして、
深夜になると興奮して叫び続けるので、家族も眠れない日が続いていました。

あまりに続くので、様子を見て入院しましょうと、
主治医は、入院の予約をしたのでしたが・・・。



その夜、家にいない長男の姿が15人くらい見えると言い出して、
長男が「うるさい!」と言う声が聞こえてくると、幻覚や幻聴が出て、
解離も起こり始めました。

「自分はダメなんだ!死んでやる!出て行く!」と興奮するのを
主人とふたりで 娘を押さえつけて、止めていたのでした。

すると娘は、今度は 自分の腕を爪で引っ搔き始めて、
大きな線の赤い傷をつけてしまったのでした。



入院予約の日まで もう待てない…
事故が起きてからでは遅いのだ…
今の私たちでは、娘に何もしてやれない…


私たちは、そう感じ始めていました。



翌朝、主治医に電話をかけて相談をしました。


「お母さん、もう在宅は無理ですね。
分かりました。すぐに来てください。
入院して、生活に慣れて貰ったら、将来的には、
入所も視野に入れて行きましょう。」


主治医の勧めで、こうして、娘は、退院して1ヶ月後に、
再入院となったのでした。



私は、娘を入院させても、もやもやしたものが消えませんでした。


これで、良かったのだろうか…
娘にとって、正しい選択だったのだろうか…
もっと守ってやらなければ いけなかったのではないだろうか…


いろいろな思いが押し寄せてきて、気持ちが晴れませんでした。
主人とも、こうするしかなかったのだと話をしましたが、
罪悪感が消えませんでした。



私は、ふと ツイッターの友人たちに呟きました。
すると・・・

私の呟きに気づいて下さった方が、こう返信して下さったのです。


「悩み悩んで出した答えはその時の最善だと信じることだと思います。
悩みはエネルギーを奪うから、無駄に消費させるのではなく、
次に備えてパワーを充電させる時間に。
それを選べば別の問題にぶつかるかもしれないけど、どちらもどちら。
選んだものが最善。応援しています。」


大好きなスーパーブロガーさんのお言葉でした。


娘を守ってやれなかったのではないか、
もっと、他の方法があったのではないか…

そんな もやもやしていた私の気持ちを、スパッと切り離して下さいました。



選んだものが最善! 

このお言葉は、とても有難く、本当に嬉しかったのです。

エネルギーを無駄に消費させるのではなく、
次に備えて、パワーを充電。


頂いたお言葉が、心に沁みて、有難くて、本当に救われました。
もやもやが晴れて、とても、楽になったのでした。

私は、主人にもすぐに このお言葉を伝えました。
主人も、喜んでくれました。



選んだ道が正しかったかどうかは、今でも分かりません。
けれども、あの時は、そうするしかなかった。
答えは、ひとつしか無かった。

私は、誰かに、それで良かったんだよ!と、
言って貰いたかったのかもしれません。




ひとつの言葉が、命を救う…


温かいお気持ちから出たお言葉の素晴らしさに、心が震え、

それまでの沈んでいた気持ちを引き上げて貰い、

次に備えて前進する勇気を頂きました。


とてもとても、感謝をしています。



私が、優しいお言葉で救われたように、

私も、娘に言葉を伝えよう!


たとえ、こちらの気持ちが うまく伝わらなくても、

伝えよう! 伝え続けて行こう!



選んだ道が最善だったと信じて、

次の備えが しっかり出来るように、パワーを充電させて

これからも、娘とともに歩んでいきたいと、感謝をしたのでした。





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娘が入院し、再び、二男と私の静かな生活が始まりました。


相変わらず、主人からは メールや電話がかかるので、

ほとんど毎日、私は、主人の大学病院と娘の病院の往復で、

忙しく過ごしておりました。


夜だけが、二男も私も 自分の時間を自由に使う事が出来、

束縛のない平和な時間が流れていくのでした。



心配だった娘の事が、面会や電話が禁止になった事で、

もう、病院にお任せするしかないと、私も気持ちを切り替えていました。


これ以上、もう 出来ないと、自分でも限界を感じておりましたので、

娘と距離を置けたことで、私自身の心の整理と覚悟を決めることが

出来ました。


娘と離れて暮らす時間は、私にとって必要なもの、

与えられたものだったのではないかと感じています。




10日後、主人は 抗ガン剤の治療を終え、無事に退院しました。

主治医との約束で、今後は、定期的なチェックのみで様子を見て行くと、

決めておりましたので、とても嬉しそうでした。




娘は、臨床心理士とのカウンセリングで、自分の気持ちを整理できるようになり、

だんだんと落ち着いて、過ごせるようになって行きました。


禁止されていた面会も、二週間に1回になり、

私とも笑顔で話せることが多くなりました。


医師からも、良くなったね!と言われ、週に1度の面会が許可されて、

次第に、「家に帰りたい!」と言うようになりました。


医師からは、何回かの一時帰宅をしてみましょうと言われ、一泊から始めて、

二泊の帰宅も出来るようになり、急速に回復して行きました。



「在宅が無理だと長引きますよ!」

との主治医の言葉に、覚悟を決めていたのでしたが、予定より早い回復で、

どうしても退院したいとの娘の意思が強い為、主治医も、

「 お母さん、今、調子が良いから 1度退院してみましょうか。」

と、二ヶ月弱で 退院になったのでした。


家が嫌だと言って、何度も出て行こうとしていた娘は、

「 家に帰りたい!」と言い、家族との生活を望むようになったのでした。







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本日、LITALICO発達ナビに、記事が掲載されました。


二男の言葉は、たった3日間の入院で消えてしまいました。

なぜ言葉は消えたの?

校長先生の一言とは?


お子さんの言葉が出ないと、お悩みの保護者の方に

ぜひ、お伝えしたい話です。


どうぞ、ご覧下さいませ。



「なぜ言葉は消えたの?」悩む私に校長先生が告げた驚きの一言






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深夜1時・・・

突然の電話のベルに、私は目が覚めました。


「 なに?」

驚いて、身体を起こすと、すぐにベル音は 鳴り止みました。


「こんな夜中に間違い電話?」

ふと、隣に目をやると、娘の姿がありません。


「 えっ?うそ⁉︎」

私は、慌てて、主人を起こしました。


さっきまで、私の隣にいたはずの娘の姿はどこにもありません。

時計を見ると、娘がいた時間から、10分くらいしか経っていませんでした。



娘は、私が ちょっとウトウトした間に、家を出て行ってしまったのでした。

まだ、そんな遠くには行っていないはず。

電車もバスも、動いていないし、一体 どこに行ったのだろう。


もしかしたら、さっきの電話は、何かの連絡だったのかもしれない。

そう思った私は、その電話番号に かけ直してみました。



「 もしもし。」

「はい。消防署です。」

「えっ? 消防署ですか?」

娘は、近くの消防署に駆け込んだのでした。



様子を尋ねると、泣いて 混乱しているとの事。

私たちは、すぐに二男を連れて、歩いて 娘を迎えに行ったのでした。




その日、娘は 退院したばかりでした。

朝、二男を施設のバスに乗せた後、私は、娘の病院に向かい、

大学病院への紹介状と薬を貰い、退院の手続きを済ませたばかりでした。



その足で、娘と駅に出て買い物をしていると、病院から電話があり、

薬を渡し忘れたので取りに来るように指示があり、

再び、退院したばかりの病院へと向かったのでした。


そして、薬を貰い帰宅したのでしたが、パスタが食べたいと言うので、

夕方 パスタを食べに外出し、その後、買い物などして、夜遅く帰ったのでした。



それからは、布団に入っても 眠れないと言い出して・・・

「進路どうしよう」「ベースが弾きたい」「これから何をしようか」

などと考えて、混乱し始めたので、

「今日は、退院したばかりだから、明日また考えようよ!」

と私は声をかけ、添い寝をして話をずっと聞いていたのでしたが、

ちょっと、ウトウトした間に、娘は出て行ってしまったのでした。




消防署に着くと、5、6人の消防士さんが、娘を囲んでいて、

娘の話を聞いて下さっていました。


娘は、消防署の玄関外のインターフォンを押したとの事。

消防士さんに話を聞いて貰ったせいか、すでに泣き止んで、

落ち着いていました。



私たちは、頭を下げてお礼を言い、娘を連れ帰ろうとしたところ、

二男は、初めての場所で興味が湧いたらしく、

あちこち歩き回って探検を始めてしまい、

深夜なのに、なかなか帰ろうとせず、呼んでいただいたタクシーが到着するまで

そうしていたのでした。


帰宅後、なんとか娘を寝かせ、私は、ようやくほっとしたのでした。





3日後、主人は、抗ガン剤第2クールの治療のため、再び 入院。

まだ不安定な娘と、二男と私の3人の生活が始まりました。



娘は、相変わらず、夜になると眠れないと言って、不安になり、

どんどん被害妄想に陥り、突然に、

「 親に殺されるから110番する!」 「 お母さんに殺される!」

と言い出して・・・

玄関を飛び出そうとしたり、警察に電話をかけようと興奮することが

多くなりました。


私は、主人のいない状況で、ひとりで娘の対応をすることに

限界を感じておりました。


玄関を飛び出そうとする娘を止めるため、玄関ドアに立ち塞がったり、

110番しようとする受話器やスマホを取り上げたり・・・


夜も眠れず、一日中、娘から目が離せない状況の中で、

どんどん追い込まれて行きました。





娘の対応に困り、大学病院の担当医に相談すると、

「入院は、ベッドに空きがないので先になる。今すぐなら、

先日退院した病院を紹介しましょう。」

と、紹介され、娘は、再び、1週間前まで入院していた病院に

再入院したのでした。




主治医は、「 戻ってくるのが、早すぎるよ!」と、娘に告げ、

私には、

「もう、在宅は無理ですね。 お母さん、今までよく頑張って来られましたね。」

と、おっしゃいました。


今まで、10年以上、同じ事を何度も繰り返してきただけに、

主治医の言葉を聞いて、私は思わず、泣きそうになってしまいました。



「これからは、在宅以外の道も考えて行きましょう。

在宅が無理だと入院は長くなりますよ。」


主治医の言葉に「 はい。」と、答えた私は、

ようやく、私たちの苦労が分かって貰えたのだと、

胸がいっぱいになったのでした。



そうして、娘は、再び、病院のベッドで過ごすことになり、

家族との面会も電話も禁止され、自分自身と向き合う生活が

始まったのでした。






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先日の記事に続いて、発達ナビに 新記事が掲載されましたので、

お知らせ致します。



LITALIKO 発達ナビ コラム

絵や字が書けなくても・・・美術の先生が教えてくれた大切なこと

二男の幼稚園の美術教師がとった行動に、驚きと感動が・・・。
いったい、何が起きたのでしょうか・・・。



ぜひ、ご覧下さいませ。






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LITALICO(りたりこ)発達ナビのコラムに、記事が掲載されましたので、
お知らせ致します。


地下鉄の中で大声で叫ぶ息子。なす術もなく困り果てた私に、ある日、救いの女神が・・・



二男が、幼稚園の時に、経験した出来事です。

同じような気持ちで、辛い思いをしておられる保護者の方に、

メッセージが届くといいなと願い、書きました。

ぜひ、ご覧下さいませ。

よろしくお願い致します。




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発達ナビは、発達が気になる子どもの親向けポータルサイトです。

ADHDや自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群や高機能自閉症含む)

などの広汎性発達障害、学習障害、知的障害、ダウン症などの障害に関する情報と、

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また 療育センターや病院などの施設情報を検索できるコーナーなど、

発達が気になる子どもの子育てに役立つ情報を提供しています。






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主人の術後の経過は順調で、2週間が経っていました。
ガンは、全摘できたのでしたが、再発予防の為に、
抗ガン剤治療をしたほうが良いと、主治医に進められていました。


入院して、抗ガン剤を点滴投与するのですが、第1から第4クールまであり、
最初の第1クールでは、1か月ほどの入院になります・・・との事でした。



一方、娘の面会は、週に1度、30分だけ許可が下りたため、
主人の入院する日の前日、当分会えなくなるからと、主人と一緒に
私は、娘に会いに行ったのでした。


個室に入ると、娘は、ベッドに座っており、私たちをジロリと見て、
「 何しに来たの?」と、つぶやきました。

そして、その後、主人の悪口をずっと言い続け、
「 私にひどい事をするから、パパは 痛い目にあったのだ。ざまあみろ!」
と、暴言を吐きました。

その後も、10年以上も前の話を持ち出しては、主人に暴言を吐き続け、
あまりの言葉に、主人も私も傷ついて、いたたまれなくなってしまったのでした。

面会時間は、あっという間に過ぎていき、私たちは、心が晴れないまま、
病院を後にしたのでした。


どうやら、大学病院で、薬を減らした影響が出てきているらしく、
娘の場合は、衝動的になる事があるから、鎮静効果のある薬を
飲んだほうが良いでしょうとの事でした。


さすがに、主人もショックを受けたようで、ため息をついておりました。
ですが、私にとっては、日常茶飯事で、娘から電話がかかるたびに、
暴言を浴びせられて、いつも、やりきれない気持ちを抑えていたのでしたが、

主人は、全く無関心で、私の気持ちなど 何とも思っていない素振りに、
私は、ひとりで、耐えていましたので、この時ばかりは、

「私も、いつも やりきれない気持ちでいたんだよ。」と、
主人に明かしたのでした。

私の気持ちを 半分くらい分かってくれたようでした。



翌日、主人は、ため息をつきながら、大学病院に入院致しました。
抗ガン剤治療をすると言うのに、娘の暴言にションボリしている姿は、

ずっと10年以上も、娘の暴言に耐えて来た私には、
なんだか可笑しく思えたのでした。



次の日から、抗ガン剤の点滴投与が始まりました。
ところが、点滴の針が刺さらない・・・と、主人から電話がありました。

血液検査のたびに、注射針が刺さらないと言っては、看護師泣かせの主人でしたが、
点滴の針まで刺さらないとは・・・苦笑してしまいました。


午後になり、病院に見舞いに行くと、点滴を受けている主人の姿がありました。

主治医は、今は大丈夫だが、週の後半になると、倦怠感が出て、
食欲もなくなるから、痩せるよ〜と、私に言い、20キロくらい痩せるから・・と、
言って、ニヤリとしました。

ダイエットにもなって、うまくいけば、一石二鳥だとの事でした。



私は、朝、二男を施設のバスに乗せた後、毎日、主人の見舞いに行き、
娘の病院と掛け持ちで、往復をして、忙しく過ごしていました。


そんな中で、娘は、次第に安定して、面会も許可になり、笑顔で過ごせるように
なっていきました。

減らしていた薬を増やした事で、安定したようでした。



2週間が経過し、主人の第1クールの治療が終了しました。
本当なら、もう1回の点滴治療があったのですが、
主人が体力の消耗が激しいから、治療は中止したいと申し出たとの事でした。


辛かったら、途中で止めても良いよ との医師の言葉に、
それならと、受けた治療でしたので、私たちは、安心していたのでしたが・・・

止めると申し出た途端、「 途中でやめると効果がないよ。」と言われ、
話が違うと、びっくりしたのでした。



それでも、主人の意志は固く、予定より早く2週間で退院したのでした。
髪も抜けると聞いていたので、帽子まで買って備えていたのですが、
主人の髪は、フサフサのまま。
結局、帽子は、役に立ちませんでした。



その後、娘は、一泊の一時帰宅をしたのでしたが、落ち着いて過ごせたため、
無事に退院をしたのでした。


ところが・・・


あろうことか、娘は、その日の深夜に 私がちょっとウトウトした隙に、
いなくなってしまったのでした。





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新しい年を迎えて、もう10日が経ちました。
昨年は、拙いブログにお越し下さり、温かいコメントや応援クリックも、
たくさん頂戴し、本当にありがとうございました。
心から感謝しています。
本年も、不定期ですが綴っていきますので、どうぞよろしくお願い致します。




さて、主人は、肺腺ガン摘出手術を受けましたが、術後の経過も良く、
術後2日目には、歩行訓練が始まり、5日目に退院致しました。

あまりに早い退院で、主人も私たちも驚いたのですが、
それだけ順調である証拠で、ホッとしたのでした。

大学病院は、長くいられないと聞いてはいましたが、せめて、
抜糸が終わるまで入院できたらいいのに…と、内心 思ったものの
主治医は、甘やかさないように…と、私に念を押し、
主人には、間食はしないように、どんどん運動するように…と言い聞かせ、
ゆっくりとする暇もなく、バタバタと退院してしまいました。


主人の入院中は、毎日 見舞いに行き、娘の病院と主人の病院をハシゴして、
私の疲れも溜まっておりました。

朝、二男を施設のバスに乗せた後、娘の病院に行き、面会後に、
主人の大学病院に向かうのですが、タクシーを使っての往復は、
緊張の絶えない日々でした。

夕方、二男のバスが自宅に到着するまでに、主人と娘の面会と用事を済ませて
帰宅するのが日課でした。

夜は、二男と二人きりで、寂しい気持ちもありましたが、
毎日のように主人や娘からの電話があり、ゆっくり休める時間も
ありませんでした。



そんな中、入院中の娘は、入院生活の不安な状況が続き、
電話をかけては、私に不満や暴言を吐くようになりました。

突然、電話の向こうで怒り出し、私を責めたり、泣き出したり・・。
どこにもぶつける事のできない感情をあらわにして、興奮する事が多くなりました。

そして、その事が 娘にとって良くない状態を生み出すらしく、
そのうちに、電話も面会も禁止になってしまいました。


ひっきりなしにかかって来る娘の電話から 解放されて、
夜だけは、睡眠を取れる様になったのでしたが・・・

主人や、二男の面倒も見なくてはならず、相変わらず、忙しく
過ごしていたのでした。


主人が退院して、ホッとしたある日の深夜、家の電話が鳴りました。
なんとなく、胸騒ぎがして 受話器を取ると・・・

「 お母さん、ごめんなさい。娘さんが、トイレでタオルを首に巻いて・・・」

看護師の言葉に、私は、一瞬、娘が死んでしまったのかと、ドキリとしました。


「 さいわい、早く発見されたので、命に別状はありません・・・。
ですが、首に少し跡が残って・・・。」

「 命に別状はないのですね?」

私は、何度も看護師に問いかけていました。


「 大丈夫です。今は、落ち着いています。
念のため、監視カメラ付きの個室に移動してもよろしいでしょうか?」

深夜、娘は、個室に移動して監視される事になったのでした。



翌朝、主治医から電話を頂き、主人と共に、私は 娘に会いに行きました。
急遽、30分だけならと、面会が許されたのでした。

娘は、私たちの顔を見て、少し驚いた様子でしたが、
思ったよりも落ち着いていて、個室のベッドに座っておりました。

首についたという跡も、すでに分からないくらいになっていました。
私は、ホッとして、娘の顔を眺めていました。


娘は、昨夜の事には何も触れずに、なぜ 面会禁止なのに私たちが来たのか・・・
と、気になっているようでした。

すぐに、主治医がやって来て、娘に、
「 自分を傷つけるような事をしたら いけんよ!」
と、声をかけていましたが、娘は、あまり分かっていない様子でした。

自分のした事の大きさが、全く分かっていないような様子に、
主治医は、何度も、「 昨夜のような事はしてはいけんよ!」と、
娘に伝えておりました。


ほとんど 娘と話ができないまま、30分が過ぎてしまい、私たちは
追い出されるように、病院を後にしました。

事の重大さが分かっていないだけに、主治医も私たちも、
ただ、娘が こんな事を繰り返さないようにと願うばかりでした。



良かった・・・。
取り敢えず、元気なだけで良かった・・・。
私たちは、あっけらかんとした娘の様子に驚きましたが、
また、それほどにこだわっていない様子にも、ホッとしたのでした。


神様から頂いた大切な命。
生かされている事、生きている事、
その重要さを知り、守らなければならない。
命ある限り、その命に終わりが来るまで、
大切に大切に、大事に大事に生きて行きたい。






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プロフィール
HN:
akari
性別:
女性
自己紹介:
子ども三人の母です。
成人してからアスペルガー症候群と診断された娘と、全般的発達障碍+重度知的障碍の二男との暮らしは、山あり谷ありですが、楽しく暮らしています。

空を見上げて…☆ ( FC2ブログ )には、二男の記録を綴っています。

LITALICO(りたりこ)発達ナビのコラムに記事が掲載されています。

遊びにいらして下さいね。(*^_^*)
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