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成人してからアスペルガー症候群と診断された娘。 全般的発達障碍+重度知的障碍の二男。 子ども達との生活は、山あり谷あり。 今日という日をしっかり生きて、明日に繋がるように 祈り続けたい・・・
2024/04月
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更新しない間にも、ご訪問、応援クリックをありがとうございました。
とても、感謝しております。




娘が入院してから、もう4ヶ月が経ってしまいました。
特に大きな変化はありませんが、良い日もあれば、調子の悪い日もあり、
まだまだ安定していないので、入院生活を続けています。


ずっと長い間、統合失調症の薬を服用しておりましたが、
発達障害の二次障害であり、統合失調症ではないとの診断で、
変薬と減量をしているところです。


入院してからも、不安で眠れずに深夜に徘徊するので、
ベッドに拘束されたり、
爪で首を引っ掻いて傷を作ったり、
「死にたい!」と口にするので、
身の回りの持ち物は、事故のないように 全て没収になりました。


食事も食べないので、食べるように言って欲しいと連絡が来たり…
解離になり、倒れて、会話ができなくなったり…
入院直後は不安定で、面会も電話も禁止でした。


週に何度も、臨床心理士がカウンセリングをして下さり、
主治医も薬の調整をして下さったお陰で、
娘は、だんだんと落ち着いて、笑顔も出るようになりました。


そのお陰で、面会は週に1度、電話は私から週に1度だけ
かけて良いと、許可がおりました。



主人に対しても、ずっと暴言を繰り返していたのでしたが、
しだいに憎しみの感情が薄れていき、
「会いたい!」と、言うようになりました。


家に帰りたくない!家族と暮らせない!と、言っていたのが、
「家に帰りたい!」と言うようになり、
夜の拘束も外れて、笑顔も多くなり、
「退院をしたい!」とまで、言っていたのでしたが…



先日、主人にも面会に来て欲しいと言うので、主人と二男と一緒に
面会に出かけて行きました。


ところが、帰りの時間を気にして急に怒り出し、
その時は、なんとか落ち着き、手を振って別れたのでしたが、
私たちが帰った後に また調子が悪くなってしまい、
面会も禁止になってしまいました。


些細な事で、突然怒り出したり、感情的になるなど、
まだまだ安定した生活を送るのが難しいようです。


やっと家に帰りたいと言う言葉が聞けて、
私たちも ホッとしていたのでしたが、
感情のコントロールがうまくいかないので、退院も伸びそうです。


主治医は、
「発達障害なので、特別な治療は ありません。
出ている症状に対して、薬は処方しますが、
本人が成長して乗り越えて行くしかないでしょう。
服用していた薬が多すぎるので、
変薬と減量をして様子を見ていきましょう。」
との事でした。


二次障害が 酷くなってしまっているので、
すぐには回復の見込みはないですが、
入院生活で身体を休め、精神を安定させることに専念出来ればと
思っています。




主人は、その後の検査で、脳に二カ所の転移が見つかり、
抗ガン剤を服用しています。


幸い、飲み薬の抗ガン剤が効く遺伝子を持っているとの事で、
点滴ではないので、キツイ副作用もなく、元気にしています。


持病の糖尿病があり、インシュリン注射をする事と、
腎臓の機能も低下していることから、
糖尿病と腎臓病の食事療法を合わせた食事作りを
しなければならないので、ちょっと大変ですが…。


先日、糖尿病の教育入院をした時に、睡眠時無呼吸が見つかり、
一泊入院で検査を受けて、結果待ちなのですが、
胸にもしこりが見つかって、これも検査の結果待ちです。


次から次へと、色々な病気が見つかって、驚いていますが、
これを機に、悪いところは全部 治療をしなきゃと、頑張っています。




二男は、マイペースでやっています。
最近は、こだわりが強くなっていて、いろいろな場面で
困りが生じています。


朝の着替えから始まり、夜眠るまで、様々なこだわりにより、
通常の3倍以上も、時間がかかって生活しています。


着替えは、通常なら2、3分でできるのが、1時間かけたりしますし、
靴を履くのも、1度履いたのをまた脱いでみたり…
入浴も、3、4時間も入っていて、介助するにも疲弊します。


二男なりの理由があって、している事なので、声かけはしますが、
叱ったりはしていません。
一過性のものだと考えているので、自然に治まる時が来るのを、
今は、待っていたいと思います。



家族のいろいろな事で、ゆっくりとする時間も無く、
毎日 忙しく過ごしておりますが、いつも守られて、
元気にやっていますので、どうぞ ご安心下さいませ。



現在、私は、LITALICO発達ナビ と言うサイトのコラムに、
記事を掲載して頂いておりますが、こちらのサイトは、
発達が気になる子どもの親向けポータルサイトで、
発達障害に関する情報と、子育ての困りごとを
解決するために必要な情報を得ることができます。


気軽に質問し、相談し合えるQ&Aコーナー、
発達障害に関わる情報を提供するコラム、
共通の話題や関心でつながるコミュニティ、
療育センターや病院などの施設情報を検索できるコーナー
など、発達が気になる子どもの子育てに役立つ情報を
提供しているサイトです。


発達障害の事を知りたい方、お子さんの子育てで
悩んでいらっしゃる方は、ぜひ、アクセスしてみて下さい。


きっと、ヒントが見つかると思います。
私も、現在、こちらのサイトで、たくさんの事を
学ばせて頂いています。

フェイスブックやTwitterも、見られます。


      LITALICO(りたりこ)発達ナビ  

      こちらをクリック
       






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急速に回復し、退院して家で過ごしていた娘でしたが、
生活が順調とまではいかず、不安を抱えておりました。

日中は、好きな絵を書いたり、ネットで買い物をしたり、
軽い運動をしたりして割合に穏やかにしているのですが、

夜になると、だんだんと不安になって、
なかなか眠れない日が続いているのでした。


同じ頃、主人は風邪をひいて、咳き込んでいたのでしたが、
マスクをしない事や、咳き込んでいるのに病院に行こうとしない事に
腹を立て、娘は、主人と衝突をする事が多くなりました。

毎年、この時期は咳き込む風邪を引き、家族にいくら言われても、
マスクを着けず、挙げ句の果ては 家族に感染るという繰り返しを
している主人でしたが、さすがに、今回は、娘が怒るので 仕方なく
マスクをしてくれていたのでしたが・・・。


本来の娘であれば、多少のことは赦せる心を持っています。
今までは、マスクをしない主人のことも赦せていました。

けれども、今は、家族のことも、些細なことも、
赦すことが難しくなっているようなのです。

とても小さなことにまで、心を痛めて、どんどん不安になって
様々な症状が出てしまうのです。



明け方、娘と主人の言い合う声で 私は目を覚ましました。
玄関から出ようとする娘の手を、主人が引っ張って止めようとしていました。

パーキンソン病で手足に力の入らない主人では、娘を止める事は出来ません。
私は、力づくで娘を部屋まで押し戻し、娘の話を聞きました。

深夜3時過ぎまで、眠れないからと 私の隣の布団で
iPad を見ていた娘は、主人の咳が止まらないのを心配して、
病院に行くようにと話したようでしたが、
一向に娘の話を聞こうとしない主人に、腹を立てたようでした。


「 こんなに心配して、病院に行ってと言ってるのに、
聞いてくれないから、もう一緒に暮らせない!出て行く!」

私が 引き止めると、娘は、そのままキッチンに行き、
「死んでやる!」と言って、置いてあったケーキサーバーで、
自分の脇腹を刺そうとし始めました。


私は、必死で引き止め、ケーキサーバーを取り上げ、
なんとか、布団に押し込んだのでしたが、
娘は、「あー!あー!」と、大声で叫び続け、
何度も出て行こうと試みました。
それを、力づくで引き止めて…。


「 パパには、今日 病院に行って貰うから!」と、娘に伝えて、
納得させて…やっと、娘は、朝になって眠りについたのでした。


主人は、ようやく病院に行き、咳止め薬を貰ったのでしたが、
それでも、咳は止まらず、その後もずっと咳き込んでいるのでした。



その後の外来診察の際に、娘の話を聞いた主治医からは、

「 家を出たらいけない。出たら、また入院になるよ!
当てもなく出るのは、いけないよ。」

と、優しく言われたのでしたが・・・。


その帰り道、ずっと、「主治医に怒られた。自分はダメなんだ。」と、
娘は、落ち込んで悩んでいる様子でした。

そして、途中で立ち寄った薬局で、「疲れた。」と言って座り込むと、
そのまま後ろに倒れてしまいました。

目はうつろ、意識朦朧としていて、いくら呼びかけても反応せず、
薬局のフロアーで、15分くらい 倒れていました。

そのうちに、呼びかけに目を覚ましたのでしたが、ふらふらで
やっとの事で、帰宅したのでした。


その夜、眠れないからと増やして貰った眠剤を飲みましたが、
深夜になっても眠れずに、そのうちに全身をバタバタ揺らして興奮し、
「あー!あー!」と叫び続け、解離症状も出たのでした。



1週間毎に 外来診察でしたが、やはり、主治医の言葉を気にして、
深夜になると興奮して叫び続けるので、家族も眠れない日が続いていました。

あまりに続くので、様子を見て入院しましょうと、
主治医は、入院の予約をしたのでしたが・・・。



その夜、家にいない長男の姿が15人くらい見えると言い出して、
長男が「うるさい!」と言う声が聞こえてくると、幻覚や幻聴が出て、
解離も起こり始めました。

「自分はダメなんだ!死んでやる!出て行く!」と興奮するのを
主人とふたりで 娘を押さえつけて、止めていたのでした。

すると娘は、今度は 自分の腕を爪で引っ搔き始めて、
大きな線の赤い傷をつけてしまったのでした。



入院予約の日まで もう待てない…
事故が起きてからでは遅いのだ…
今の私たちでは、娘に何もしてやれない…


私たちは、そう感じ始めていました。



翌朝、主治医に電話をかけて相談をしました。


「お母さん、もう在宅は無理ですね。
分かりました。すぐに来てください。
入院して、生活に慣れて貰ったら、将来的には、
入所も視野に入れて行きましょう。」


主治医の勧めで、こうして、娘は、退院して1ヶ月後に、
再入院となったのでした。



私は、娘を入院させても、もやもやしたものが消えませんでした。


これで、良かったのだろうか…
娘にとって、正しい選択だったのだろうか…
もっと守ってやらなければ いけなかったのではないだろうか…


いろいろな思いが押し寄せてきて、気持ちが晴れませんでした。
主人とも、こうするしかなかったのだと話をしましたが、
罪悪感が消えませんでした。



私は、ふと ツイッターの友人たちに呟きました。
すると・・・

私の呟きに気づいて下さった方が、こう返信して下さったのです。


「悩み悩んで出した答えはその時の最善だと信じることだと思います。
悩みはエネルギーを奪うから、無駄に消費させるのではなく、
次に備えてパワーを充電させる時間に。
それを選べば別の問題にぶつかるかもしれないけど、どちらもどちら。
選んだものが最善。応援しています。」


大好きなスーパーブロガーさんのお言葉でした。


娘を守ってやれなかったのではないか、
もっと、他の方法があったのではないか…

そんな もやもやしていた私の気持ちを、スパッと切り離して下さいました。



選んだものが最善! 

このお言葉は、とても有難く、本当に嬉しかったのです。

エネルギーを無駄に消費させるのではなく、
次に備えて、パワーを充電。


頂いたお言葉が、心に沁みて、有難くて、本当に救われました。
もやもやが晴れて、とても、楽になったのでした。

私は、主人にもすぐに このお言葉を伝えました。
主人も、喜んでくれました。



選んだ道が正しかったかどうかは、今でも分かりません。
けれども、あの時は、そうするしかなかった。
答えは、ひとつしか無かった。

私は、誰かに、それで良かったんだよ!と、
言って貰いたかったのかもしれません。




ひとつの言葉が、命を救う…


温かいお気持ちから出たお言葉の素晴らしさに、心が震え、

それまでの沈んでいた気持ちを引き上げて貰い、

次に備えて前進する勇気を頂きました。


とてもとても、感謝をしています。



私が、優しいお言葉で救われたように、

私も、娘に言葉を伝えよう!


たとえ、こちらの気持ちが うまく伝わらなくても、

伝えよう! 伝え続けて行こう!



選んだ道が最善だったと信じて、

次の備えが しっかり出来るように、パワーを充電させて

これからも、娘とともに歩んでいきたいと、感謝をしたのでした。





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新しい年を迎えて、もう10日が経ちました。
昨年は、拙いブログにお越し下さり、温かいコメントや応援クリックも、
たくさん頂戴し、本当にありがとうございました。
心から感謝しています。
本年も、不定期ですが綴っていきますので、どうぞよろしくお願い致します。




さて、主人は、肺腺ガン摘出手術を受けましたが、術後の経過も良く、
術後2日目には、歩行訓練が始まり、5日目に退院致しました。

あまりに早い退院で、主人も私たちも驚いたのですが、
それだけ順調である証拠で、ホッとしたのでした。

大学病院は、長くいられないと聞いてはいましたが、せめて、
抜糸が終わるまで入院できたらいいのに…と、内心 思ったものの
主治医は、甘やかさないように…と、私に念を押し、
主人には、間食はしないように、どんどん運動するように…と言い聞かせ、
ゆっくりとする暇もなく、バタバタと退院してしまいました。


主人の入院中は、毎日 見舞いに行き、娘の病院と主人の病院をハシゴして、
私の疲れも溜まっておりました。

朝、二男を施設のバスに乗せた後、娘の病院に行き、面会後に、
主人の大学病院に向かうのですが、タクシーを使っての往復は、
緊張の絶えない日々でした。

夕方、二男のバスが自宅に到着するまでに、主人と娘の面会と用事を済ませて
帰宅するのが日課でした。

夜は、二男と二人きりで、寂しい気持ちもありましたが、
毎日のように主人や娘からの電話があり、ゆっくり休める時間も
ありませんでした。



そんな中、入院中の娘は、入院生活の不安な状況が続き、
電話をかけては、私に不満や暴言を吐くようになりました。

突然、電話の向こうで怒り出し、私を責めたり、泣き出したり・・。
どこにもぶつける事のできない感情をあらわにして、興奮する事が多くなりました。

そして、その事が 娘にとって良くない状態を生み出すらしく、
そのうちに、電話も面会も禁止になってしまいました。


ひっきりなしにかかって来る娘の電話から 解放されて、
夜だけは、睡眠を取れる様になったのでしたが・・・

主人や、二男の面倒も見なくてはならず、相変わらず、忙しく
過ごしていたのでした。


主人が退院して、ホッとしたある日の深夜、家の電話が鳴りました。
なんとなく、胸騒ぎがして 受話器を取ると・・・

「 お母さん、ごめんなさい。娘さんが、トイレでタオルを首に巻いて・・・」

看護師の言葉に、私は、一瞬、娘が死んでしまったのかと、ドキリとしました。


「 さいわい、早く発見されたので、命に別状はありません・・・。
ですが、首に少し跡が残って・・・。」

「 命に別状はないのですね?」

私は、何度も看護師に問いかけていました。


「 大丈夫です。今は、落ち着いています。
念のため、監視カメラ付きの個室に移動してもよろしいでしょうか?」

深夜、娘は、個室に移動して監視される事になったのでした。



翌朝、主治医から電話を頂き、主人と共に、私は 娘に会いに行きました。
急遽、30分だけならと、面会が許されたのでした。

娘は、私たちの顔を見て、少し驚いた様子でしたが、
思ったよりも落ち着いていて、個室のベッドに座っておりました。

首についたという跡も、すでに分からないくらいになっていました。
私は、ホッとして、娘の顔を眺めていました。


娘は、昨夜の事には何も触れずに、なぜ 面会禁止なのに私たちが来たのか・・・
と、気になっているようでした。

すぐに、主治医がやって来て、娘に、
「 自分を傷つけるような事をしたら いけんよ!」
と、声をかけていましたが、娘は、あまり分かっていない様子でした。

自分のした事の大きさが、全く分かっていないような様子に、
主治医は、何度も、「 昨夜のような事はしてはいけんよ!」と、
娘に伝えておりました。


ほとんど 娘と話ができないまま、30分が過ぎてしまい、私たちは
追い出されるように、病院を後にしました。

事の重大さが分かっていないだけに、主治医も私たちも、
ただ、娘が こんな事を繰り返さないようにと願うばかりでした。



良かった・・・。
取り敢えず、元気なだけで良かった・・・。
私たちは、あっけらかんとした娘の様子に驚きましたが、
また、それほどにこだわっていない様子にも、ホッとしたのでした。


神様から頂いた大切な命。
生かされている事、生きている事、
その重要さを知り、守らなければならない。
命ある限り、その命に終わりが来るまで、
大切に大切に、大事に大事に生きて行きたい。






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「 お母さんが、上手く誘導してくれたから 戻ってこれたんだよ。」

娘は、昨夜の事を話してくれました。


「 えっ? 覚えているの?」


「 うん。ところどころ、覚えている…。
    自分が誰だか分からなくなって…
    自分の名前も家族も、分からなかったから、
    それで、ノートに書いて!って、言ったんだよ。」


「 へぇ〜。そうだったんだぁ。」



言われてみれば、別人格のはずなのに、
娘自身の私物が入っているボックスを開けていたり、

自分の名前を嫌いだと言って、顔をしかめたりするので、
不思議だなぁと、思ったりしていたのでした。



別人格だと思って、ひたすら 私が 対峙していたのは
娘自身だったのかも知れない…と、思えてきたのでした。

多重人格になったら、どう対応したらいいのか、
いろいろと想像しては 不安に思っていたので、

ぼんやりと昨夜の事を覚えていると話す娘の言葉に、
私は、少し、ホッとしたのでした。



すぐに、病院に行き、外来受診をしました。


主治医に、別人格の話をすると…

「 記憶があるので、真性の解離性人格障害ではないでしょう…。
    自分を認識出来ない状態になって、混乱したのではないか…
    解離ではあるけれども、多重人格とは違うでしょう…。」

との事でした。


私は、医師の言葉を聞いて、安心したのでした。




ところが・・・


次の日も、その次の日も、娘は 再び、解離症状が出て…
同じようになったのでした。


「 あなたは、だあれ?  ここは、何処?」


同じ質問を繰り返し、家から出て行こうとする娘に、
私は、ひとりで 対応する事に 限界を感じていたのでした。



たまたま、4連休中の出来事でした。


対応に困り果てた私は、何度も、主治医の大学病院の救急外来に
娘を連れて行き、受診しました。

「 お父さんのガン手術に対しての不安から来ている症状なので、
    手術が終わるまでは、繰り返し、続くでしょう…」

との診断でした。


このままでは、私ひとりでは対応も難しく、二男の世話もあるし、
主人の手術も迫っているので、できる事なら、娘を入院させたいと、

伝えましたが、休日の入院は出来ないとの事で、
連休明けまで待つように指示されました。


何度も解離を繰り返す娘に、なんとか対応をして…
連休明けに 主治医の外来を受診しました。



しかし、娘は 退院したばかりなので、同じ大学病院では再入院出来ない…
その代わり、別の病院を紹介します…と言われ…

すぐに、別の病院に入院出来るように手続きをして下さったのでした。


そして・・・

娘は、精神科の専門病院に入院したのでした。


主人の手術日まで、あと5日…

私は、ようやく、ホッとして、眠りにつく事が出来たのでした。






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「 家に帰りたいの。おばあちゃんの所に帰らなきゃ。」

娘は しきりに、家に帰る…と言っては、玄関を出て行こうとし始めました。


そんな娘を 必死で止めようとする私に、娘は・・・

「 どうして止めるの? おばさん、だれ?」

「 えっ・・・?」

私は、言葉を失いました。


目の前にいる娘は、さっきまでの娘とは 違っていたのです。
声のトーンも、言葉づかいも、確かに 娘とは違っていました。


「 お母さんだよ!」

「 お母さんって、だれ?」

私は、自分の名前を告げました。すると・・・

「 知らないわ!」  

 娘の口から出た言葉を聞いて、私は、ようやく、何が起きているのかを
知ったのでした。


解離性同一性障害・・・


娘が解離だと 医師に言われてから ずっと、私は、この言葉が
いつも気になっておりました。

まさか・・・

目の前の娘に、一体 何が起きているのか・・・
私は、恐る恐る、娘に聞いてみました。


「 あなたは、だあれ? お名前は? 」

「 知らないわ!」

私は、娘の本名を告げました。 すると・・・


「 だれ? それ、変な名前! そんな名前嫌いよ!」

娘は、顔をしかめて、吐き捨てるように言ったのでした。


「 お母さんは? お父さんは? 」

「 いないわ! 死んじゃったの。」


「 どこから来たの?」

「 ずーっと遠くの外国から 船に乗って来たの。」


「 どうして、ここに来たの?」

「 お花が たくさん咲いていて、綺麗な絵があったから、
ホテルだと思って、入ったの。」


「 家族は?」

「 みんな、死んじゃった。おばあちゃんと住んでるの。
早く帰らないと、おばあちゃん 病気だから、足が悪くて
歩けないから、帰ってあげないと 死んじゃうわ。」


娘は、すぐに玄関から出て行こうとするので、私は、
力づくで 引き止めるのが 精一杯でした。


二男は、施設から帰ったばかりでしたが、いつもの娘と異なる様子に、
何も言わずに、私と娘のやり取りを 遠巻きに見ていました。


「 この子は、だあれ?」

二男を指差して、娘が尋ねるので、二男の名前を告げると・・・

「 可愛いわね!」

娘は、二男のことを、しきりに可愛いと言って、頭を撫でるのでした。


いつもなら、そろそろ 夕食の支度を始める時間でした。
日も暮れて、外も暗くなり、娘が外に飛び出して行けば、
私一人では、とても対応出来る状態では ありませんでした。


困り果てた私は、解離に詳しい友人にメールをしました。
娘の状況を書いて、どうしたら良いかと尋ねたのでした。


友人から すぐに返信メールがありました。

「 事故防止のためにも、交代人格には 家に居て欲しいが、
無理なら、一緒に出かける事。

人格が戻るまでは、交代人格と対峙するしかない事。
この時、交代人格を否定してはいけない。」


全く知識のなかった私には、友人のアドバイスが、ただ一つの
救いでした。

友人は、その後も、情報を送り続け、自分の事のように心配して
下さったのでした。




思いも寄らなかった出来事に、ただただ驚き、でも、なんとかして、
とにかく、一晩を乗り切らなければ…と言う思いで
私は、必死になっていました。

無我夢中で、目の前の娘ではない別人格と話を続け、
今夜は遅いから、取り敢えず、ここで泊まって欲しいと
話をしたのでした。


私との力づくの引っ張り合いで、疲れたのでしょう。
娘は、素直に私の言葉にうなづいて、「今夜はこちらで泊めてください。」と、
布団に入ったのでした。

食事の用意も出来ずに、娘にかかりっきりで、二男は放ったらかし。
お腹の空いた二男は、自分で パンを焼いたりして、黙って食べておりました。

重度知的障害のある二男ですが、こんな時は、何も言わなくても、
事態を察知して、私の手間を取らせずに 自分でやってくれるのです。

私は、二男にも、ごめんねと謝り、感謝したのでした。


夕食後の薬と、就寝前の薬。
娘は、毎日 服用していましたが、この薬を飲ませるのに また一苦労でした。

「 これを飲んでね。」と、差し出すと、
「 毒が入っているんじゃないの?」と、疑うので、大変でした。

必死で説得して、どうにか飲んでもらい、やれやれでした。


娘が寝てから、 私は、すぐに 主治医の大学病院に電話をかけました。
当直医が電話に出たので、状況を説明し、娘が家を飛び出そうとするので
一人では、対応出来ないと、話をしました。

医師が、私に告げたのは…

退院したばかりなので、再入院は出来ない。
どうしても、入院させたいのなら、緊急救急システムを使う方法がある。
連絡して、相談すれば 病院を紹介してもらえるかもしれない。

でした。 当直医は、親身になって、私の話を聞いて下さいました。
私は、すがるような気持ちで、緊急救急システムに電話をかけてみたのでした。


そして、とても一人では対応できない事を告げたのでしたが…

おとなしく眠っている今現在の状況では、緊急システムは使えない。
システムが使えるのは、もっと深刻な場合で、
例えば、自傷や他傷の恐れがある場合などに限る。
仮に、使えたとしても、遠隔地の病院の紹介になる。

との理由で、病院の紹介はして貰えませんでした。


私は、どうにかして、明日の朝まで、娘ではない別人格と、
対峙しようと、覚悟を決めたのでした。

幸い、娘は、夜中に1、2度起きて、トイレに行ったり、
お茶を飲んだりしたものの、玄関を飛び出していく事はありませんでした。


長い長い時間が過ぎて行きました。

眠れない一夜を過ごし、私は、娘が 目覚めた時には、元に戻っているようにと、
心の底から、祈りました。


ですが・・・


朝になって、目覚めた娘は、別人格のままでした。
そして、家に帰りたいと、また言いだしたのでした。

昨夜は、「朝になって、家の迎えが来るまで、ここで待ちましょう。」と、
言い聞かせていたのでしたが、「迎えが来ない!」と言って、混乱し始めました。


一体、いつまで、この状態が続くのだろう・・・
永遠に続くのでは ないだろうか・・・

私は、そんな気さえ してきました。

たとえ、ずっとこのままでも、相手をするしかないのだ・・・
いつまでも、元に戻るのを待ち続けよう・・・

私は、そう 自分に言い聞かせて、覚悟をしたのでした。



別人格の娘は、朝ごはんも食べ、毒ではないかと疑いながらも 薬を飲み、
だんだんと、私を頼ってくれているように 感じていました。

娘ではないけれど、暴言は吐かないし、言葉使いも丁寧で、
どうやら、穏やかな性格のようだ・・・

私は、次第に、別人格の娘の事が、愛おしく思えてきたのでした。



そんな時、突然に、「おばさんの事、おかあさんと呼んでいい?」と、聞かれ、
私は、嬉しさのあまり、「 呼んで!呼んで!」と、笑顔で答えていました。

それまでは、私の事を ずっと、「 おばさん!」と、呼んでいたのに、
おばさんから、「おかあさん」に変化したのでした。


「 おかあさん優しいから、ずっとこのまま、ここにいてもいい?」

「 うん!いいよ。ここにいて!」

「 じゃあ、家に帰らなくてもいいわ。ここにいる!」


「 私、名前がないから、おかあさん 名前付けて!」

私は、娘の名前を告げてみました。

「 そんな名前、嫌いよ! 大っ嫌い!」


自分の名前に 異常に反応する娘が 不思議でしたが、
私は、名前を何にしようか迷ったので、入院中の主人に電話をかけました。


「 名前を付けてと言ってるけど、何がいい?」

主人には、ずっと電話で状況を伝えていたので、
すぐに主人は 答えてくれました。


「 マリア・・・」

「 えぇっ? マリア? 恥ずかしいんじゃない?」

「 じゃあ、サラ!」


マリアもサラも、聖書に書かれている女性の名前ですが、
普段は、聖書もキリスト教にも興味を示さなかった主人が、
この名前を出した事に、私は、とても驚きました。


「 ああ、きっと、サラがいいって、言うよね!」

「 うん!」


私は、電話を切り、娘に 「マリア」と「サラ」の名前を言いました。

すると、娘は、「 サラがいい!」と、即答しました。


そして、「 サラちゃんにする! 今日から 私は、サラちゃんになる!」

と言って、ものすごく喜んだのでした。


すぐに、自分の手の甲に 「サラ」と書いて・・・

「 サラちゃん と呼んで!」

と、繰り返し、言ったのでした。


それから、私に、家族の名前を ひとりひとり書いて欲しいと言って、
ノートを差し出したのでした。


私は、言われるままに ノートに家族の名前を書き、
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、サラちゃん、弟・・・
と、説明を始めると・・・

突然に、話していた別人格の声が変わり・・・
別人格は消えて、元の娘が、戻ってきたのでした。



23時間が経過していました。

長い長い、時間でした。

娘は、やっと、元の娘に戻ったのでした。






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「 手術日が 2週間後になった・・・」

「 えっ??」


主人は、糖尿病を患っており、もう何年も薬を飲んでおりました。

入院して、血糖値の測定が始まったのですが、その数値が高いから、

このまま手術をすると、合併症を起こす可能性があるため、

2週間かけて、血糖値を下げてから 手術をするとの医師の判断でした。



突然の延期に、驚きましたが、娘の状態も良くなかったので、

私は、少し ホッとしたのでした。



娘は、相変わらず 夜も眠れず、不安定になっていて、

意識を失うのが怖い と言って、頓服を飲んでばかりでしたが、

家事をしようと 私が離れると、行かないで! と、言うので、

何もできずに、付きっきりの状態が続いておりました。



それでも、なんとか 二男を送迎バスに乗せて、

二男だけは、いつも通りの生活をしていたのでしたが・・・



その日・・・


二男の帰宅時間になり、私は いつものように 

家の玄関前に到着した送迎バスから 降りてくる二男を

迎えに行こうとすると・・・



娘が、行かないで! と言って、引き止めるので・・・

でも、バスが来てるから 行ってくるね! と私は、

すがる娘を振り払って、玄関に向かったのでした。


「 行かないで〜〜! ああ〜〜っ!! 」


叫ぶ娘の声を背に、私は 二男を迎えに 玄関を出て、

送迎バスを見送ったのでした。



すると・・・


部屋にいたはずの娘が、裸足のまま、

私の横に立っていたのです。


私は驚いて、どうしたの? と、声をかけました。



「 家に帰りたいの・・・」


娘は、そう答えて、裸足のまま、門を出ようとするのです。


「 ここが 家でしょ? 何言ってるの? 」


家に帰ると言う娘を、私は、無理やりに家の中に押し込みました。



「 あなたは だあれ? 」  


娘の言葉に、私は、動揺しましたが、以前にも、

娘の意識が ぼんやりしている時に この言葉を聞いた覚えがあったので、

一瞬の出来事だろうと、軽く考えておりました。



ところが・・・


「 あなたは、だあれ? 」


と、繰り返し 私に尋ねる娘の様子に、私は はじめて、

とんでもない事が起きているのかもしれない・・と、気づいたのでした。







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娘が入院して1ヶ月が過ぎ・・・

2泊3日の一時帰宅になりました。


この帰宅が 問題なく上手くいけば、退院まで あと少し。
娘と主治医の間で、約束事が決められました。

「 一時帰宅中は、規則正しい生活をして、家事を出来るだけする事。」


家では、家事は ほとんどせずに、自分の事だけに専念していた娘でしたが、
主治医との約束を守らないと退院させて貰えない…と、思ったのでしょう。

帰宅してからは、別人のように 一日中何かしらの家事をしていました。
食事以外は、ゆっくりする事もなく、忙しく動き回り、
私の仕事まで奪うようにして、頑張るのでした。


「 疲れちゃうから、ゆっくり座って お茶でも飲もうよ。」と、声をかけても、

「 先生に言われた事を 守らなきゃいけないから!」と、答えて…。


掃除や洗濯、食後の片付け、洗い物…
せわしなく、動き回るのでした。

ですが、何をするにも、今までした事がないのですから、
いちいち、やり方を私に尋ね、
主治医に見せるのだと、ノートに記入するので、
私まで ゆっくりできずに気も休まらず、慌ただしく過ごす生活でした。


昼間は疲れてしまい、せめて 夜は早く寝たいと思っていても、
娘は、家事をしていたから 話が出来なかったと言って、

夜になってから話を始め、何度も同じ話を繰り返し…延々と続き…
2日間とも、深夜3時半過ぎまでになってしまいました。

ずっと動き続け、しゃべり続けて…
落ち着かず、ただ気ぜわしいだけの一時帰宅でしたが、
なんとか無事に、3日目の夕方 再び 病院へと娘を送って行きました。



娘の一時帰宅の2日前の事…

主人は、娘と同じ大学病院で、1日検査入院をしておりました。
肺に見つかった腫瘍のような物の詳しい検査をするためでした。

娘が 一時帰宅を終えて、病院に戻った日の翌日、
主人の検査入院の結果が出ました。

家族が同席するようにと言われ、覚悟はしていましたが、
長男も同席して、主治医の話を聞きました。


診断は、肺腺がんとの事でした。
左肺の心臓の裏にある癌で、大きさは 5cmくらい。

手術して 切除した方が良いとの事でしたが、心膜と横隔膜にも癒着しており、
最悪の場合、心臓にまで及んでいる事もあり、その場合は、切除しないまま
縫合するとの事でした。


主人の手術日が決定した時点で、すぐに、娘の主治医にも連絡し、
娘の退院を 主人の手術後にして欲しいと、お願いをしたのですが…

大学病院では、1ヶ月以上の入院は不可能で、娘の場合は、すでに
1ヶ月を経過しているので、退院を延ばす事は出来ないとの事でした。


そして、娘の退院日は、主人の入院する日と同じ日になりました。
私は、午前中に 主人の入院手続きを済ませ、午後に 娘の退院手続きをしたのでした。



娘が退院して、その足で 主人の入院病棟に立ち寄りました。

娘には、主人の詳しい病名や病状は 内緒にしておりました。
ところが、主人の病室にいる間に、主治医に呼ばれ、
娘も同席して、主人の主治医の話を聞く事になってしまったのでした。


そんな事とは知らない主治医は、娘の前で、病名を告げ、ステージを告げ…
手術の際に起こるリスクや、合併症の例など、次々と話し始めたのでした。

案の定、娘は ショックを受けて、泣き出してしまい…
内緒にしていた事実を、全て知ってしまったのでした。



入院した主人と別れて、帰宅したのでしたが…
やはり、娘には、耐えきれなかったのでしょう。

その夜から、3日間連続で、夜になると パニックを起こし、
発作や、ひきつけ、呼吸が止まるなどを繰り返すようになってしまいました。



主人の手術日まで、あと3日…
私は、主人の事も心配でしたが、目の前の娘の対応に精一杯でした。


そんな時、主人から電話があり…
手術日の変更を告げられたのでした。







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前回の更新から、3ヶ月以上経ってしまいました。
その間、何度もお立ち寄り下さいまして、本当にありがとうございました。

苦しい胸の内を綴りたいと思いつつも、
日々起こってくる 様々な出来事に追われて更新出来ず、申し訳ありません。

これからも、不定期な更新になりますが、続けて綴って参りますので、
今後とも どうぞよろしくお願い申し上げます。



さて、10日前から、娘は 入院を致しました。
その日、月に1度の受診日でしたが、

「 いろいろな音が気になって、我慢できない。
頭痛や幻聴もひどくて眠れないし、食べられない。」

と、娘は、医師の前で 号泣し、

「 家に帰りたくない!」

と、訴えた結果でした。


割合と元気に過ごし、曲に合わせて、その場足踏みで
毎日、1万歩をクリアして、絵も描き…

安定していると思っていましたので、
今回の入院は、「 えっ? 」と意外でした。


東京在住時も、暴言や暴力、自傷を繰り返しては、家を飛び出したり…
とても、家族と平和な時間を過ごせないから、入院させたいと、
何度も 医師に相談した事がありました。

しかし、当時は、病院側の都合もあったのでしょう。
なかなか、医師からの許可が下りませんでした。
娘も私たち家族も、苦しい日々を乗り越えてきたのです。


転居して、病院が変わり、医師も変わり、環境が変わったものの…
これまで、数え切れないほどの試練を通ってきた私たちとしては、
今回の入院は、少しばかり 複雑な心境でした。

なぜ、今なの?
そうは思いましたが、娘が 家に帰りたくない! と、主張している以上
無理やりに連れて帰る訳にもいかず、医師に勧められるまま、
入院の手続きをする事に致しました。


前回の受診時にも、アスペルガーと言う特性上、
人とのコミュニケーションが苦手な娘の為に、

他人との会話や、やり取りを練習するための入院も出来るよと、
医師から聞いておりました。

ちょうど良い機会だから、1ヶ月入院して
薬も見直して 減らしましょう…

との医師の勧めに、私たちは、同意致しました。


10日間が過ぎて、娘は、多少の混乱はあるものの、
なんとか やり過ごしながら、生活をしています。

今回の入院が、娘にとっての前進になりますように・・

今は、そう願っています。


入院していても、ほぼ毎日 見舞いに訪れますし、
電話も、何度もかかってくるので、

なかなか、こちらも ゆっくりとできないのですが、
夜だけは、静かに眠れる生活になったのが、幸いです。


神様から頂いた夏休み…
そう思って、私たちも 娘が帰宅した時に、
しっかりと寄り添えるようにと、充電しています。

普段は、なかなか ゆっくり相手をすることが出来ない二男と、
しっかり かかわって過ごそうと思います。


今日も、無事に 穏やかな一日でありますように・・・

心から感謝して、過ごしたいと思います。





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プロフィール
HN:
akari
性別:
女性
自己紹介:
子ども三人の母です。
成人してからアスペルガー症候群と診断された娘と、全般的発達障碍+重度知的障碍の二男との暮らしは、山あり谷ありですが、楽しく暮らしています。

空を見上げて…☆ ( FC2ブログ )には、二男の記録を綴っています。

LITALICO(りたりこ)発達ナビのコラムに記事が掲載されています。

遊びにいらして下さいね。(*^_^*)
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