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成人してからアスペルガー症候群と診断された娘。 全般的発達障碍+重度知的障碍の二男。 子ども達との生活は、山あり谷あり。 今日という日をしっかり生きて、明日に繋がるように 祈り続けたい・・・
2024/05月
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それは突然の出来事でした。


夜10時過ぎの事…

何気なく見た主人の様子がおかしい事に 私は気づきました。

布団に横になっていた主人が、腹這いのまま うんうんと唸っていたのです。
一体、何をしようとしているのか。


私は、「どうしたの?」と、声をかけました。
「起きようとしてるのだけど…起き上がれない。」


主人の返答に、意味が分からないまま 私は近寄りました。
「はぁ? 何をやってるの?」

近づいてみましたが、主人は相変わらず、うんうんと唸るばかりです。



主人は、体重が100キロを越えています。

昨年9月末に、肺腺癌の手術を受ける際に減量したのでしたが、
手術後には元に戻り、その後は、しっかりリバウンドをして、
現在はますます増加中です。


普段から、重たい身体を動かすのに時間がかかり、
糖尿病やパーキンソン病のせいで、右半身の自由が利かなくなっているので
起き上がったり、立ち上がったりするのに苦労しています。


いつもなら、腹這いの姿勢から四つん這いになって、立ち上がるのですが、
どうやら 上手く四つん這いになれない様子でした。


どうして身体が動かせないのか、私は理解出来ませんでした。
手を貸して、主人の身体を支えようとしても、
脱力したままビクともしないので、私も困り果ててしまいました。


そうこうしているうちに1時間が過ぎ…


主人は、トイレに行く事が出来ずに、動けないまま粗相をしてしまいました。
濡れた下着を替えたくても、ビクともしない身体ではどうする事も出来ません。


主人も私も 疲労がピークになっていました。


なぜ、身体が動かせないのだろう。
私は、段々と不安になっていきました。


午前中は、内科の受診で、主人はひとりでタクシーに乗り、
大学病院まで行きました。
帰りは、バスに乗って駅まで行き、買い物をして午後には帰宅しています。


それなのになぜ?


身体を動かす指令が脳に行かないとしたら…
私は、襲って来る不安に身体が震えてくるのでした。


恐る恐る主人に尋ねてみました。

「頭は痛くない? 何か変な感じはない?」

「別に…。」

普段から、言葉数の少ない主人が、更に言葉少なく…
私は、ますます不安になるだけでした。



もしかしたら、脳梗塞の前兆かもしれない…
今ならまだ症状は軽いはず。
今のうちに病院に行ったほうが良いかも…


そう考えた私は、主人と相談して 主治医のいる大学病院に電話をかけたのでした。



午前0時になろうとしていました。


救急外来に電話をかけると、すぐに宿直医が出てくれました。

「ご主人に代われますか? 話がしてみたいのですが…」


主人と話をした医師は、私に聞きました。
「 ご主人は、しばらく様子をみると話しておられますが…
どうしますか?」

「脳梗塞の可能性があるなら、早く診ていただいたほうが
良いと思うのですが…」

「そうですよね。そしたら、すぐに来てください。
救急車で運ばなければ無理ですから、電話をして救急車を呼んで下さい。
すぐに検査ができるように、待機していますから。」



サイレンを鳴らさずに来て欲しいとのお願いも、
鳴らさないといけない事になっていますから…と却下され、

けたたましいサイレンを鳴らしながら、しばらくして
救急車が到着したのは、深夜0時をすぎた時間でした。



家から近い消防署から、救急隊員が3人来て下さったのでしたが、
横たわった主人を見るなり、

「ご主人、体重は何キロですか?」

「115キロです。」主人が質問に答えると、

「応援を呼びますから、もう少し待って下さい。」との返事。


どうやら、3人では主人を運べないらしい。

待つ事5分…

サイレンを鳴らして、また救急車が到着し、応援隊員が3人現れました。


6人がかりで、主人はようやく救急車に乗せられ、
私と二男は 乗り込んだのでした。




初めて乗る救急車。

避難訓練では、体験乗車をした事のある二男も、
なんとなくウキウキして、不謹慎だが喜んでいる様子。

無理もない…私だって、ドキドキしてるのだもの。



モニターに映し出された心電図や心拍数の表示を
ぼんやりと眺めていた私に、救急隊員が告げました。


「熱が高いですね。8度8分ありますよ。」
「えっ?」


驚きました。
熱があるなどと、それまで 一言も主人は言いませんでしたから、
全く気づきませんでした。


「どなたか、周りでインフルエンザにかかっている人はいませんか?」


実は、二男は週の初めから インフルエンザに感染しており、
施設を休んでいたところでした。

熱が下がり2日経過していて、もう大丈夫だと、
安心していた矢先でした。


「もしかしたら、インフルエンザに感染しているかもしれませんね。」


そうだったのか。
思いもよらぬ展開に、私はびっくりしていました。


それにしても、身体が動かないのは 何か理由があるはずだ。

脳梗塞でありませんように…

私は、ただ祈る事しか出来ませんでした。






サイレンを鳴らしながら、深夜の街を走り…

主人と私たちを乗せた救急車は 大学病院に到着しました。


ストレッチャーに乗せられた主人は、すぐに救急処置室に運ばれました。

熱がある事を救急隊員から聞いた医師は、インフルエンザの可能性があると私に話し、

「先にその事を言って欲しかった。一応、頭のCTは撮りますが…。」と、告げました。


そんな事を言われても…

まさか高熱があるなんて、想像もしなかった。

主人から、熱があると聞かされていれば、勿論、真っ先に話すに決まっている。



でも…
どうして脱力するのだろう。


そんな事を考えているうちに、医師から呼ばれました。

「インフルエンザですね。検査して1分くらいで反応が出ました。」

「A型ですか?」

「A型です!」

間違いなく、二男のA型インフルエンザが感染したのでしょう。


「頭のほうは異常はありませんでした。インフルエンザでの入院はないので、
きょうは、このまま すぐに自宅に帰って下さい。」

「先生、なぜ 身体が動かなくなったのでしょうか?」

「高熱のせいですね。」

「高熱って、39度ですよね。それくらいで、動けなくなるものですか?」

「ご主人の場合は、いろいろ病気がありますから…。」




私は、まだ納得出来ませんでした。

たかが、39度くらいで、動けなくなるなんて…
ピクリとも動かせない主人を、どうやって家に連れて帰れと言うんだ…。



状況を察した看護師さんが、介護タクシーを呼んで帰るようにと、
深夜でも繋がる連絡先を教えて下さいました。


午前2時。草木も眠る丑三つ時です。


教えて頂いた電話連絡先に電話をかけると…
明らかに寝ていたであろう声の男性が応答されました。


「寝ていたので…今からだと車を会社まで取りに行って、
それから行きますので、1時間はかかります。」

何時間かかっても、主人を連れて帰れさえすれば構わない。

「困ってるんでしょ? だから、電話をかけたんだよね。
行きますよ!」

「すみません。身体が大きくて、おひとりでは無理だと思います。
家に入るにも、階段がありますし…」

「100キロ以上もあるの? 分かりました。」



深夜にも関わらず、快く承諾して下さった介護タクシーの方に
感謝の気持ちでいっぱいでした。



介護タクシーが到着する前に、私は医師から処方されたイナビルを
すぐに主人に吸入して貰いました。

下着が濡れたままでしたので、替えの下着を看護師さんに渡したのでしたが、
それも濡らしてしまったため、オムツをしていますと説明を受けました。



そうか、動けない場合はオムツになるんだ…

私は、これから先、家でもオムツ使用になるだろう主人を思い、
翌日すぐに買いに行かなきゃと考えていたのでした。



しばらくして、介護タクシーが到着しました。
年配の方が3人で来て下さいました。
看護師さんが 乗務員さんに、すぐにマスクをつけるようにと指示されました。


こうして、主人は 身体が少しはみ出したものの、
なんとかストレッチャーに寝かされたまま、
介護タクシーに乗せられ、帰路につきました。


自宅について、タクシーを降りた途端、
二男は、大声を出して狂喜乱舞。


初めての救急車乗車に、初めての介護タクシーですから、
無理もありません。今まで静かにしていたのが嘘のよう。
嬉しくて、つい声が出てしまったようでした。


深夜3時半を過ぎていました。
静かにするように二男に声をかけ、鍵を開けて貰いました。



さて、それからが大変でした。
ストレッチャーのまま、家に入るのに、階段があるのです。

男性3人でも力が足りず、私も加わり、やっとの事で、
布団に移動させました。


深夜にも関わらず、嫌な顔ひとつ見せずに、3人とも、
とても親切に対応して下さいました。



相変わらず、主人は動く事さえ出来ません。
熱は、イナビルが効いたようで、すでに38度4分に下がっていました。

受け答えは出来ますが、身体を動かす事ができないので 結局、
オムツのままで、一晩過ごす事にしたのでした。






朝になっても、主人の身体は動かないままでした。


オムツをしていたので安心していたのですが、
シャツも布団もぐっしょり濡れていて、びっくりしました。


どうやら、サイズが小さくてずり落ちてしまい、
漏れてしまったようです。

これでは、いくらオムツをしていても、間に合いません。
すぐに買いに出かけました。



タクシーの運転手さんが親切に、薬局の中まで案内して下さって、
一緒にオムツまで探して下さいました。

聞けば、介護のご経験があるとの事。
オムツの上に当てるパットまで教えて下さいました。



オムツを買い、主人に着用するも、やはりサイズが小さくて、
すぐにズレてしまいます。

布団が濡れないようにとシートを敷いても、ぐしゃぐしゃになってしまい
役に立たずに濡れてしまうし…



熱が下がっても、全く動けない主人を前にして、
将来、こんな生活が待っているのだと、半ば諦めて、覚悟を決めて…

それならばと、ネットで大きいサイズのオムツを大量に注文し、
ついでにパットとお尻拭きも注文しました。




ところが…

4日目になった時、主人はなんとか立てるようになりました。
自力で歩けるようになり、トイレにも行けるようになったのです。



医師が話したように、やはり熱のせいで、
身体を動かす事が出来なくなったのだと思わざるを得ません。


インフルエンザの予防接種を受けていなかった主人は、
マスクも嫌いで使用しないので、その分、症状が強く出たのかもしれません。


今となれば、本当に元どおりになって良かったのですが、
この何日間は、腹をくくった生活でした。


マスクをしない主人のせいで、私は、この1ヶ月間ずっとマスクを
つけたままで過ごしています。

食事する時以外は、就寝時でもつけたまま眠っています。
お陰で、二男のインフルも主人のインフルにも感染せずに、
なんとかやれています。



今でこそ、笑い話になりましたが、
今回の事では、たくさんの方々に助けて頂き とても感謝致しました。

一人では何もできない事を痛感し、いざという時は、
他人の力をお借りする事の大切さを学ぶ事が出来ました。



主人には、頑張ってリハビリと減量をして貰うようにするつもりです。
将来、オムツを使用する事になっても、慌てずに落ち着いて
対処できるようになりたいと思います。



今現在、我が家の玄関には、大量のジャンボサイズのオムツと、
尿漏れパット、尿漏れシーツ、お尻拭きの入った段ボールが
山積みになっています。(笑)

この段ボールの中身…

いつか 役に立つ日が来るのかな…。(笑)





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娘が入院し、再び、二男と私の静かな生活が始まりました。


相変わらず、主人からは メールや電話がかかるので、

ほとんど毎日、私は、主人の大学病院と娘の病院の往復で、

忙しく過ごしておりました。


夜だけが、二男も私も 自分の時間を自由に使う事が出来、

束縛のない平和な時間が流れていくのでした。



心配だった娘の事が、面会や電話が禁止になった事で、

もう、病院にお任せするしかないと、私も気持ちを切り替えていました。


これ以上、もう 出来ないと、自分でも限界を感じておりましたので、

娘と距離を置けたことで、私自身の心の整理と覚悟を決めることが

出来ました。


娘と離れて暮らす時間は、私にとって必要なもの、

与えられたものだったのではないかと感じています。




10日後、主人は 抗ガン剤の治療を終え、無事に退院しました。

主治医との約束で、今後は、定期的なチェックのみで様子を見て行くと、

決めておりましたので、とても嬉しそうでした。




娘は、臨床心理士とのカウンセリングで、自分の気持ちを整理できるようになり、

だんだんと落ち着いて、過ごせるようになって行きました。


禁止されていた面会も、二週間に1回になり、

私とも笑顔で話せることが多くなりました。


医師からも、良くなったね!と言われ、週に1度の面会が許可されて、

次第に、「家に帰りたい!」と言うようになりました。


医師からは、何回かの一時帰宅をしてみましょうと言われ、一泊から始めて、

二泊の帰宅も出来るようになり、急速に回復して行きました。



「在宅が無理だと長引きますよ!」

との主治医の言葉に、覚悟を決めていたのでしたが、予定より早い回復で、

どうしても退院したいとの娘の意思が強い為、主治医も、

「 お母さん、今、調子が良いから 1度退院してみましょうか。」

と、二ヶ月弱で 退院になったのでした。


家が嫌だと言って、何度も出て行こうとしていた娘は、

「 家に帰りたい!」と言い、家族との生活を望むようになったのでした。







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深夜1時・・・

突然の電話のベルに、私は目が覚めました。


「 なに?」

驚いて、身体を起こすと、すぐにベル音は 鳴り止みました。


「こんな夜中に間違い電話?」

ふと、隣に目をやると、娘の姿がありません。


「 えっ?うそ⁉︎」

私は、慌てて、主人を起こしました。


さっきまで、私の隣にいたはずの娘の姿はどこにもありません。

時計を見ると、娘がいた時間から、10分くらいしか経っていませんでした。



娘は、私が ちょっとウトウトした間に、家を出て行ってしまったのでした。

まだ、そんな遠くには行っていないはず。

電車もバスも、動いていないし、一体 どこに行ったのだろう。


もしかしたら、さっきの電話は、何かの連絡だったのかもしれない。

そう思った私は、その電話番号に かけ直してみました。



「 もしもし。」

「はい。消防署です。」

「えっ? 消防署ですか?」

娘は、近くの消防署に駆け込んだのでした。



様子を尋ねると、泣いて 混乱しているとの事。

私たちは、すぐに二男を連れて、歩いて 娘を迎えに行ったのでした。




その日、娘は 退院したばかりでした。

朝、二男を施設のバスに乗せた後、私は、娘の病院に向かい、

大学病院への紹介状と薬を貰い、退院の手続きを済ませたばかりでした。



その足で、娘と駅に出て買い物をしていると、病院から電話があり、

薬を渡し忘れたので取りに来るように指示があり、

再び、退院したばかりの病院へと向かったのでした。


そして、薬を貰い帰宅したのでしたが、パスタが食べたいと言うので、

夕方 パスタを食べに外出し、その後、買い物などして、夜遅く帰ったのでした。



それからは、布団に入っても 眠れないと言い出して・・・

「進路どうしよう」「ベースが弾きたい」「これから何をしようか」

などと考えて、混乱し始めたので、

「今日は、退院したばかりだから、明日また考えようよ!」

と私は声をかけ、添い寝をして話をずっと聞いていたのでしたが、

ちょっと、ウトウトした間に、娘は出て行ってしまったのでした。




消防署に着くと、5、6人の消防士さんが、娘を囲んでいて、

娘の話を聞いて下さっていました。


娘は、消防署の玄関外のインターフォンを押したとの事。

消防士さんに話を聞いて貰ったせいか、すでに泣き止んで、

落ち着いていました。



私たちは、頭を下げてお礼を言い、娘を連れ帰ろうとしたところ、

二男は、初めての場所で興味が湧いたらしく、

あちこち歩き回って探検を始めてしまい、

深夜なのに、なかなか帰ろうとせず、呼んでいただいたタクシーが到着するまで

そうしていたのでした。


帰宅後、なんとか娘を寝かせ、私は、ようやくほっとしたのでした。





3日後、主人は、抗ガン剤第2クールの治療のため、再び 入院。

まだ不安定な娘と、二男と私の3人の生活が始まりました。



娘は、相変わらず、夜になると眠れないと言って、不安になり、

どんどん被害妄想に陥り、突然に、

「 親に殺されるから110番する!」 「 お母さんに殺される!」

と言い出して・・・

玄関を飛び出そうとしたり、警察に電話をかけようと興奮することが

多くなりました。


私は、主人のいない状況で、ひとりで娘の対応をすることに

限界を感じておりました。


玄関を飛び出そうとする娘を止めるため、玄関ドアに立ち塞がったり、

110番しようとする受話器やスマホを取り上げたり・・・


夜も眠れず、一日中、娘から目が離せない状況の中で、

どんどん追い込まれて行きました。





娘の対応に困り、大学病院の担当医に相談すると、

「入院は、ベッドに空きがないので先になる。今すぐなら、

先日退院した病院を紹介しましょう。」

と、紹介され、娘は、再び、1週間前まで入院していた病院に

再入院したのでした。




主治医は、「 戻ってくるのが、早すぎるよ!」と、娘に告げ、

私には、

「もう、在宅は無理ですね。 お母さん、今までよく頑張って来られましたね。」

と、おっしゃいました。


今まで、10年以上、同じ事を何度も繰り返してきただけに、

主治医の言葉を聞いて、私は思わず、泣きそうになってしまいました。



「これからは、在宅以外の道も考えて行きましょう。

在宅が無理だと入院は長くなりますよ。」


主治医の言葉に「 はい。」と、答えた私は、

ようやく、私たちの苦労が分かって貰えたのだと、

胸がいっぱいになったのでした。



そうして、娘は、再び、病院のベッドで過ごすことになり、

家族との面会も電話も禁止され、自分自身と向き合う生活が

始まったのでした。






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主人の術後の経過は順調で、2週間が経っていました。
ガンは、全摘できたのでしたが、再発予防の為に、
抗ガン剤治療をしたほうが良いと、主治医に進められていました。


入院して、抗ガン剤を点滴投与するのですが、第1から第4クールまであり、
最初の第1クールでは、1か月ほどの入院になります・・・との事でした。



一方、娘の面会は、週に1度、30分だけ許可が下りたため、
主人の入院する日の前日、当分会えなくなるからと、主人と一緒に
私は、娘に会いに行ったのでした。


個室に入ると、娘は、ベッドに座っており、私たちをジロリと見て、
「 何しに来たの?」と、つぶやきました。

そして、その後、主人の悪口をずっと言い続け、
「 私にひどい事をするから、パパは 痛い目にあったのだ。ざまあみろ!」
と、暴言を吐きました。

その後も、10年以上も前の話を持ち出しては、主人に暴言を吐き続け、
あまりの言葉に、主人も私も傷ついて、いたたまれなくなってしまったのでした。

面会時間は、あっという間に過ぎていき、私たちは、心が晴れないまま、
病院を後にしたのでした。


どうやら、大学病院で、薬を減らした影響が出てきているらしく、
娘の場合は、衝動的になる事があるから、鎮静効果のある薬を
飲んだほうが良いでしょうとの事でした。


さすがに、主人もショックを受けたようで、ため息をついておりました。
ですが、私にとっては、日常茶飯事で、娘から電話がかかるたびに、
暴言を浴びせられて、いつも、やりきれない気持ちを抑えていたのでしたが、

主人は、全く無関心で、私の気持ちなど 何とも思っていない素振りに、
私は、ひとりで、耐えていましたので、この時ばかりは、

「私も、いつも やりきれない気持ちでいたんだよ。」と、
主人に明かしたのでした。

私の気持ちを 半分くらい分かってくれたようでした。



翌日、主人は、ため息をつきながら、大学病院に入院致しました。
抗ガン剤治療をすると言うのに、娘の暴言にションボリしている姿は、

ずっと10年以上も、娘の暴言に耐えて来た私には、
なんだか可笑しく思えたのでした。



次の日から、抗ガン剤の点滴投与が始まりました。
ところが、点滴の針が刺さらない・・・と、主人から電話がありました。

血液検査のたびに、注射針が刺さらないと言っては、看護師泣かせの主人でしたが、
点滴の針まで刺さらないとは・・・苦笑してしまいました。


午後になり、病院に見舞いに行くと、点滴を受けている主人の姿がありました。

主治医は、今は大丈夫だが、週の後半になると、倦怠感が出て、
食欲もなくなるから、痩せるよ〜と、私に言い、20キロくらい痩せるから・・と、
言って、ニヤリとしました。

ダイエットにもなって、うまくいけば、一石二鳥だとの事でした。



私は、朝、二男を施設のバスに乗せた後、毎日、主人の見舞いに行き、
娘の病院と掛け持ちで、往復をして、忙しく過ごしていました。


そんな中で、娘は、次第に安定して、面会も許可になり、笑顔で過ごせるように
なっていきました。

減らしていた薬を増やした事で、安定したようでした。



2週間が経過し、主人の第1クールの治療が終了しました。
本当なら、もう1回の点滴治療があったのですが、
主人が体力の消耗が激しいから、治療は中止したいと申し出たとの事でした。


辛かったら、途中で止めても良いよ との医師の言葉に、
それならと、受けた治療でしたので、私たちは、安心していたのでしたが・・・

止めると申し出た途端、「 途中でやめると効果がないよ。」と言われ、
話が違うと、びっくりしたのでした。



それでも、主人の意志は固く、予定より早く2週間で退院したのでした。
髪も抜けると聞いていたので、帽子まで買って備えていたのですが、
主人の髪は、フサフサのまま。
結局、帽子は、役に立ちませんでした。



その後、娘は、一泊の一時帰宅をしたのでしたが、落ち着いて過ごせたため、
無事に退院をしたのでした。


ところが・・・


あろうことか、娘は、その日の深夜に 私がちょっとウトウトした隙に、
いなくなってしまったのでした。





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娘の入院から5日後・・・
主人は、肺腺ガン摘出手術を受けました。

「 朝8時に病室まで来てください。それから、皆で手術室に行きます。
手術は、6時間かかります。家族の方は、手術が終わるまで 家族控え室で待機して下さい。」


主治医の言葉通り、手術日の朝、長男と二男、私で 主人の病室に行きました。
すると、間も無く、主治医が顔を出し、「 行きましょう!」と誘われて…
ぞろぞろと、皆で エレベーターに乗り込みました。

手術室のある階で降り、手術室と家族控え室と二手に分かれると、
「じゃあ…。」と言って、主治医は、主人を連れて 手術室へと向かって行きました。

ストレッチャーに乗せられた主人を、手術室の扉の前で見送るのだと、
想像していた私たちは、手術着に着替えた主人が、
主治医と手術室に歩いて行く姿を見送って…
なんだか、想像していた場面と、あまりにも違う状況に、戸惑いを感じながらも、
それほど、簡単な手術なんだ…と、ホッとしたのでした。


家族控え室に入ると、小さなテーブルと椅子が いくつも用意されていて、
そこには、私たちと同じように待機する家族が、何組もおりました。

6時間もの時間を、狭い控え室で過ごすのは、二男がキツそうだと考えた私は、
長男に頼んで、二男と家で待機するように告げ、
私ひとりが、家族控え室に残る事にしました。


私は、病院の売店で雑誌とお茶を買い、控え室で過ごしていました。
ふと、娘は、今頃どうしているだろう…と、考えました。

きっと、心配で眠れない一夜を過ごし、
きっと、今、必死で祈っているだろう…娘の姿を想像しました。
この場にいなくて、良かった。
この空間と時間に、娘は耐えきれないだろう…と、
改めて、入院させて良かったと思ったのでした。


それから、何時間が過ぎたでしょうか…。
私は、Twitterの友人たちに呟いていました。

私の呟きに、すぐさま、返信をして下さり、友人たちは、優しい温かい言葉を
たくさん、私に かけて下さいました。
大丈夫、大丈夫! と、力強い言葉を たくさん下さったのでした。

ネット上で知り合い、名前もお顔も知らない友人たちが、心をひとつにして、
私のために、主人のために、祈って下さいました。

その祈りが、本当に嬉しく、どんなに私の支えになった事か…
不安が消えて、どんなに心強く、力をいただいた事か…

親戚よりも身内よりも、そばにいて寄り添って下さる友人たちに、
感謝の気持ちでいっぱいでした。



3時間が経過した頃、控え室の扉が開いて、
「手術が終わりましたよ。」と、ある家族が 呼ばれました。

次々に、手術が終了し、その度に 看護師が控え室の扉を開けて、
待機中の家族に声をかけるのを、私は、ぼんやりと眺めておりました。
だんだんと、待機中の家族の数が減っていき、控え室は、静まりかえっていました。


その時・・・

「 終わりましたよ!」と、看護師では無く、主治医自らが 控え室の扉を開けて、
私は、呼ばれたのでした。

6時間も経っておらず、予定より早い終了で、長男も二男も家に居て 間に合わず、
また、直接、執刀した主治医が呼びに来た事に、私は、驚きながらも、
主治医の後を着いていきました。

小さな部屋に案内されて、椅子にかけると、主治医は、
「 全部、取れました。取ったものを見ますか?」と、仰いました。

一瞬、驚きましたが、私は 「はい!」と、返事をしました。
すると、「ちょっと待ってて!」と主治医は、部屋を出て行きました。
私は、深呼吸を一つして、主治医を待っていました。


主治医は、部屋に戻ると、ステンレスの膿盆に乗せた物を、
「これです。」と、自分の手のひらに乗せて、私に見せて下さいました。

赤黒い色をした それは、三角の形をしており、綺麗な物でした。
「 肺には、これと同じ肺葉が5個あって、そのうちの1個を取りました。
ガンは、これです。」
主治医の指差した場所には、4〜5cmの塊がありました。
私は、へぇ〜と思うだけで、思ったより綺麗な肺葉を眺めていました。

ガンは、全摘出来、転移もないとの主治医の言葉に、私は 安心したのでした。
こうして、主人の手術は成功し、心配していた合併症も起きずに、無事に終了したのでした。

東京でお世話になった教会の教会員の方々や、
Twitterの友人たちの祈りと願いが届き、
私は、たくさんの優しい人たちに支えられている自分を、改めて認識し、
神様に感謝したのでした。





拙いブログにご訪問 ありがとうございました。
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あけましておめでとうございます。


昨年の8月から始めたばかりの拙いブログですが…

お陰様で、たくさんの方々に お越しいただいて、

温かいお言葉や、メッセージを頂戴し…

元気を頂いて、新年を迎えることができました。


皆様、本当にありがとうございました。

感謝致します。



このブログは、子育て記録「 空を見上げて…☆ 」ここクリック

別ブログとして、立ち上げたものです。


重度知的障碍の二男と、成人してからアスペルガー症候群だと

診断された娘との日常は、思いのほか、苦しいことが多く…

別の形で 表現したいと思うようになり、書き始めました。



どちらも 大変 拙いブログですが…

これからも、続けて 書いて行きたいと思いますので、

どうぞ よろしくお願い致します。



今年も、皆様にとりまして

素敵な一年でありますように…

お祈りいたします。




                      a k a r i 

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長男は 3歳、娘は 2歳…

少しばかり、育児は楽になったものの、
相変わらず、忙しい主人は 家にいないし、

私は、家事と育児で 疲れ果て、くたくたになり…
睡眠不足もあって、ストレスが たまっていくばかりでした。


子供たちのいたずらにも、つい 腹を立て、
声を荒げてしまう自分自身が、嫌で嫌で 仕方なく、

自己嫌悪に陥る毎日でした。


本当は、心優しい母親になりたいと思うのに…
気がつけば、怒ってばかり。


良き妻になりたいと思うのに…
イビキをかいて寝ている主人に、失望したり。


自分自身の心の貧しさに、泣きたくなるような日々を
過ごしておりました。



そんな時…

ひとりのラジオ牧師に、出逢ったのでした。


毎日、ラジオから流れてくる5分間の放送を聴き…
電話でも聴けるラジオの再放送を、何度も何度も聴いて…


その声から滲み出る牧師さんの温かい人柄や、
そのお話に どんどん惹かれていき…

私は、自分が だんだんと 優しい気持ちになっていくのを
感じたのでした。



そして…
私は、生まれて初めて、聖書を手にしたのでした。



すると、どうでしょう。
私は、子供たちの事が、とても愛おしく思えるようになったのです。

子どもって、こんなにも、可愛かったのだ…と、自分でも驚くほどになり、
苦しかった育児が、楽しいとさえ思えるように なったのでした。

もっと、驚いたのは、何もしないで 寝てばかりだった主人が、
優しくなり、家事を手伝ってくれるようになった事でした。


私は、私を変えて下さったばかりでなく、
主人をも、変えて下さった 神様に とても感謝したのでした。




感謝の日々を過ごすうちに…
私は、お腹に赤ちゃんがいる事に 気づきました。


この子は、神様が 授けて下さった子どもに違いない…

私は、そう確信したのでした。


そうして、私たちの三人目の子ども…

二男が 誕生したのでした。





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長男は、とても慎重な性格で…

歩き始めの頃は、家の中では よちよち歩けるのに
靴を履かせて、外に出た途端に、ものすごく慎重になり…( ビビリです  笑 )

一歩、歩くのにも 時間がかかり…
少しの段差にも、いちいち立ち止まっては、足元を確認して
ゆっくりと、一歩を進んでおりました。

新しい出来事には、とても 用心して、すぐには飛びつかないタイプでした。



それに比べて、娘は、大胆!

歩くのも、11ヶ月と、早かったですし、
新しい出来事にも、危険を顧みずに、突進するタイプでした。(笑)


娘が、1歳2ヶ月の頃、家族で 旅行に出かけた時の事…

アイスクリームが欲しいと言って、いきなり、
道路の真ん中に、寝っ転がって、大泣きしました。

その頃、よく見ていた他人の光景に、
ウチの子どもは、あんな風には、絶対にさせない! 
と、思っていただけに、大ショック!! (笑)

泣き叫ぶ娘を 慌てて抱え、アイスクリームを与えた途端、
ピタリと泣き止み…

それはそれは、にこにこの笑顔になったのでした。

義理の母も、一緒の旅行でしたから、ヒヤヒヤしながらの体験でした。

箱根の坂道を、主人は、長男と手を繋いで、義母とスタスタ先に行ってしまい、
私は、「 抱っこ! 」と言って、歩かない娘を、一日中 抱っこしながらで…

坂道をついて行くのが 精一杯…
ヘトヘトに疲れた思い出しか 残りませんでした。


今、思えば、主人が 娘を抱っこしてくれれば もう少し楽だったのに…
と、思いますが、当時の主人は、とにかくマイペースで…
私のことなど、全く 気遣う様子も ありませんでした。



長男は、頑固なところもあって、ミルクを飲ませる時に、
ミルクの温度が 少し熱いと、怒って 泣き…

だんだんと、温度が 下がってくると、今度は、温度が冷たいと、泣いて…
ミルクの温度調節には、相当 気を使いました。

その点、娘は、母乳でしたから、泣くたびに 抱っこするだけでしたので
とても、楽でした。


まだ1歳半で、2ヶ月の娘に ベビーカーを奪われた長男は、
いつも、娘を乗せたベビーカーの横に掴まり、よちよちと歩いておりました。

けれども、すぐに疲れて、歩けなくなってしまうので、
娘の横に、ちょこんと乗せて…

まるで、双子のように、子育てをする毎日でした。


まずは、長男を優先にして、長男の気持ちを満たした後で、
娘の世話をする…

そうする事で、長男も待てるようになり…
私は、赤ちゃんだった二人の気持ちを、安定させる事に 一生懸命でした。


相変わらず 忙しい主人は、帰宅しても、すぐに寝てしまうし、
たまの休みでも、一日中 寝ているばかりで…

私は、主人を頼らずに育児すると 決意したものの、
クタクタになって疲れた私が、どんなに 困っていようと、

平気で 寝ている主人に、失望してしまうのでした。



そんな暮らしも、時が経ち…

長男が3歳、娘が2歳 になる頃には、二人の手を引いて
外出できるまでに なりました。

大人しくて、静かな二人でしたので、
よく、デパートの屋上遊園地に出かけたりしておりました。


そんな時、新たな出逢いが ありました。

育児に疲れて、憔悴しきっていた私にとって、それは、
光が差し込んできたような、希望に満ちたものでした。


生き方をも、変わってしまった、大切な出逢い…

いえ、それは、私が 知らなかっただけで、

私が 生まれてから ずっと、私を見守って下さっていたのだと、

気づかされた出逢いでも ありました。






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プロフィール
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akari
性別:
女性
自己紹介:
子ども三人の母です。
成人してからアスペルガー症候群と診断された娘と、全般的発達障碍+重度知的障碍の二男との暮らしは、山あり谷ありですが、楽しく暮らしています。

空を見上げて…☆ ( FC2ブログ )には、二男の記録を綴っています。

LITALICO(りたりこ)発達ナビのコラムに記事が掲載されています。

遊びにいらして下さいね。(*^_^*)
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